書評レビュー東大生ブログ 右往左往 [Logic]学問
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哲学には何ができるか

人生とは何か
生命とは何か
幸福とは何か
どうすれば幸福な人生を送ることができるのか

人生の中でぶち当たるこれらの様々な問いに答えるのは、誰の役目だろう。


哲学は、人類の知の集大成として存在してきた。すべての学問は哲学から派生し、哲学と同じ問いに答えようとしてきた。
もちろん、科学も例外ではない。それが実際には哲学とは違う問いに対する答えばかりを吐き出してきたとしても、かつてそれらが袂を分かつ前には哲学の一部であった。


哲学の社会的な地位が相対的に低下し、たんなる暇つぶしと捉えられるようになって久しい。


古人の名著を紐解いてみて思うことがある。
それがいかなる巨大な知性によるものであっても、どれほどの支持を得る思想であっても、それらが自分に冒頭の質問に対する何がしかの”答え”を与えてくれることは、ない。
それらが映すのは、人が悩み考え抜いた思考の系譜であり、敗北に彩られた戦いの歴史である。


そしてまた科学も、それらの問いに対する答えは持っていない。
彼らが答えてきた問いの中には、僕らが真に欲しているものは何一つ入っていない。
何一つ。


これらの問いに答えるのは誰の役目だろう。

誰も、永久に答えることはできない。
これがもっとも標準的で正解に近い回答かもしれない。

人はこれからもずっと、あるかどうかもわからない真実を求めて這い回らなければいけないのだろうか。
哲学は、科学は、無力なのだろうか。

それでも、一抹の光はある。そう言うことも、できる。
科学は人と生命に関するすべての謎を解き切る日が来るだろう。

そのとき人は、知るだろう。
自分を構成しているすべてを。
自分の存在・行動を貫く因果律を。

それを知ったとき、冒頭の問いについての答えは与えられるのだろうか。

真に受動的な態度で真実を掴む時、人は果たしてすべてを受け入れるのか。
受け入れた後に、それらの知見を使って能動的に生きることができるのか。

この問いに答えるのは、科学ではない。
哲学の存在意義は、ここにこそあるんじゃないだろうか。

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何を勉強したらいいんですか?

春から入ってきた新M1に、こんなことを聞かれた。

「何を勉強したらいいんですか?」


ウチの研究室は、扱っている領域がかなり広い。
色んな分野から色んなバックグラウンドの人が来る。
文系・理系の別はないし、社会人Drもあらゆる層の人がいる。
研究テーマも個人によってバラバラ、使っているツールも全然違う。

たぶん、世間一般の研究室よりも、他のメンバーが何をやっているのかを理解しにくい所だろう。


そんな中、入学したばかりのゼミで、先輩の発表が全く理解できなくて不安になるのは当然かもしれない。



まー個人的には、人の研究は理解できなくても卒業できるよ、とは思うし、ここまでの広がりがある所で全てを理解するのは難しい。

自分はといえば、ゼミでは少しでも付加価値を出そうとしてきたし、入学して第一回目のゼミからずっと発言はしてきた。
そもそものゼミ出席率が低いからあれだけどw、一回当たりの発言・質問数は一番なんじゃないかな。


ただ、他の人の研究を深く理解しているとはとても言い難いし、分からないこともいっぱいある。
(そして他人の分野に関してわざわざ本を読んだりして勉強する気も毛頭ない)

そんな中で、少しでもゼミで価値を出すために必要だと思う事は、幾つかある。
学んでおいて損はないというか、ゼミでどうこう以前に、より広く、生きていく上で役に立つ事。


まず、相手の話の論理構造を捉える能力。
これは必須。
個別具体的な研究についての知識が無くても鋭いツッコミをするためには、最低限身につけておくべきもの。

相手の主張はつまりなんなの?
その理由は?
その理由をサポートする分析はどれ?
それらは本当に正しい?

知識が無い中で、素早くその研究の論理構造を掴んで歪みや飛躍を見つけることは、鍛えれば結構できる。
知識を学ぶ前に、まずこれを鍛えるべき。


次に、自分のごくごく日常的な感覚を働かせること。
多くの研究は、一般市民の日常的な感覚と乖離している部分があって、「一個人としてこう思う」という感覚をぶつける事は結構重要。
これも、その研究に沿った具体例を思いつくのには考える癖みたいなのがついていないと厳しい。


そして最後に、やっぱりある種の専門性は必要。
前述のように、対象となる広い領域の全てをキャッチアップする事は無理だから、自分がこれまで深めてきた、もしくはこれから深めていきたい幾つかの分野についての専門性は武器になる。
分野が違っても、そこからの視点や差異とかは、相手に投げると価値が出る。

自分の場合は、ツールで挙げると統計、シミュレーションとかかなー。
広く学問一般に通じてるのもかなり強みだと思ってる。

何か1つを掘り下げて学ぶ事で、その分野で動いているメカニズムが他の色んな分野における考え方と有機的に繋がっている事に気がつくはずだよ。


個別のテーマに関する知識は、興味に任せて少しずつ学んでいったらいいんじゃないかな。


ま、焦らずじっくり頑張っていこう。

自戒を込めて。
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ソフトな科学とハードな宗教

科学における命題群が成す全体系は柔軟であり、エラー検出・自己修復機能を有する、というのが現代における科学哲学の主要な見解だ。

既存の事実認識の一部に矛盾し、その見直しを迫るような経験論的事実によって、該当部分が修正され、それに合わせて全体が微調整されると言う事だ。


ここで重要なのは、科学は一つの思想体系である、という事。

それは絶対的事実によって支えられているのではなく、「この世界を見るために経験論的・観察的事実を採用します」という”思想”にすぎないという事。


そういう意味で、科学は言うまでもなく宗教の一つだ。
それ自体で完結した1つの思想体系であるという点で、紛れもなく。


では、他の宗教には、自己修復機能は付いているか。

キリスト教が地動説の誤りを認めたのは、ごくごく最近になってから。

多くのマイナーチェンジはあるんだろうけど、目立った修復が成されたというのは聞いたことが無い。


まぁそれも当然だろう。

科学以外の宗教にかけているもの。
ベンチマーク。

自分が間違っているかどうかを判断するための、相対的な比較項目が、世界中どんな宗教にも存在しない。

それは、多分に内的な思想に偏り過ぎているため、実際の世界に目を向ける事が無くなっている。
だから、ベンチマークがない。


そんなものが無くたって、永久に普遍な絶対的事実があるから大丈夫だって?
その考え方は、甘い。甘すぎる。



20世紀は、宗教上の重要な考え方の幾つかが完全に葬り去られた世紀だった。
数学的なアプローチだったり哲学的なアプローチによって、完全に宗教上の主要な命題が否定された衝撃は、現代思想界に大きな影響を与えてきた。

その過程をみると、その論理展開をみると、宗教の全体系を支える根本的な命題が瓦解するのも、時間の問題に思える。

宗教って、すごくソフトに見えるけど、ガッチガチのハードな思想がその根底を支えている。

結局、人間に捉えられないものに、その意味合いに違和感を感じる人は少なくないし、多くの事柄は、絶対的事実であってはいけないんだろう。




科学って、ホントはすっごくソフトなんだ


そうだね

だって

この世界は

ハードでは

いられないから



宗教は

そのハードさゆえに

瓦解する

必ず

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有名大学の研究室の実情と、正しい選び方

大学生、特に修士や博士の学生にとって、研究室(ゼミ)配属は大学生活の中で最も大きなイベントの1つだろう。

でもそれと同時に、自分が入る研究室の選択は、最もないがしろにされている事の1つでもある。


少なくとも1年、多ければ何年間も過ごす事になる研究室を選ぶ事は、ともすればその数年間を地獄のような生活に激変させる可能性すら秘めているのだ。
それと同時に、研究室は配属に失敗すれば、後の成長に大きな影を落とす事も珍しくはない。



それにも関わらず、「たった数年間だけだし」と言ってその選択を適当に行ってしまう輩が少なくない。
そして、彼らは今、文字通り地獄を見ているのだ。
そんな例を、何人分も見てきた。


そこで、自分の体験談も含め、良い研究室に配属されて幸せな生活を送るためには何を見ればいいのかを、書いてみようと思う。


研究室選びはジョブマッチングである



上に書いたとおり、研究室選びは紛れもなく重要である。
そしてそれは、大きな光としてその後の人生を照らす可能性をも秘めている。

研究室配属は、就職活動と同じだ。

自分の価値観や夢、人間性を総合的に判断して特定の研究室を選択する。
その研究室が自分に本当にあっているのかを検証し、最終的に配属にまで至る、という流れを踏襲するべきものなのだ。


けっして疎かにしてはいけない。
就活と同じように、本気で選ぶべきだ。

良い研究室、悪い研究室



では、研究室を選ぶ際に、どういう基準で選べばよいのだろうか。

そのために何にも先んじて知っておくべきは、「悪い研究室とはどういうものか」という事だろう。

なぜかって?

悪い研究室の悪い度合いが絶望的に高いからだ

そして、だからこそ最低ラインを死守する事が死ぬほど重要なのだ。

一撃必殺がある以上、まずは防御、と言ったところだ。


じゃあ悪い研究室って、具体的にどんな所なんだろう。

おそらく、次の4つに大別されるだろう。

・束縛が強い
・放置プレイ
・メンバーの仲が悪い
・メンバーがつまらない


基本的には、これらの複合的な結果として研究室の悪質度合いが決定される。
上から順に悪質な度合いが高い要素だと、個人的には思っている。


まず、束縛が強い研究室。
これは結構多い上に、学生生活に重大な支障をきたす、地獄にも等しい研究室の事だ。
その主な特徴と言えば、研究室に鎖でつながれている事だ。
平日の朝から夜までの強制拘束なんて当たり前。休日拘束や山のような学会発表、雑務、挙句の果てには進学強要というE難度の技を軽々と出してくる研究室界のエリートだ。
これによって就職活動が完全崩壊するケースは、少なくない。
こういうタイプの研究室では、教授の独裁政治が行われているケースが多い気がする。

研究をバリバリやりたくて、かつ精神的な強さが僧侶と同じぐらいだ、という人のみがこういうタイプの研究室に向いている。


次に、放置プレイ系。
説明は不要だが、ただただ放置する。
学生は何をすればよいかわからず、指導も十分に受けられない。
基本的に、行った意味が無い。

こういう場合は大抵卒業が簡単だから、嬉しいという人は多いと思うが、そこに重大な損失が隠れている事は後に説明する。


3つ目が、メンバーの不仲のせいで空気が極めて悪いところ。
これもよくあるケースだが、ひどい場合には卒業に影を落とす事もある。
学生同士の問題であればまだいい。社会勉強だと思って耐えればなんとかなる。
教員同士の仲が悪い、これが一番ひどいパターン。
研究内容についての意見が割れると、どちらにも反対できずに永久に結果がまとまらないという最悪の状況に陥る。
研究成果が、なんら正当性のない感情的な議論の犠牲になると言う例は存在する。
これも留年リスク。

最後。メンバーがつまらないor合わない
これはまぁずっといるわけでもないからいいかもしれないが、一応研究室は多くの時間を過ごす事になる場所だから、配属前の学生が思っているよりも重要。
まぁ耐えるしかないが。


研究から何も得られないというリスク



2番目の放置プレイ系の研究室だが、このタイプは結構多い。

教員が自分の仕事に忙殺されている場合、そもそも教育方針として放置の場合があるが、どちらにしても重大な機会損失を計上せざるを得ない。

自分自身、最初は正直こう思っていた。
「教員に教わる事なんてねーよ。どうせ頭いい奴なんてほとんどいないんだろ?」

もともと自学が基本スタイルなために、人に何かを教わったことがあまりなかったし、そんな価値のある事を教えられるほど凄い(本の著者以外の)人がいるとは思っていなかった。

甘かった。
完全に間違いだった。


陰ながら尊敬している人がいる。
頭がいいと言う意味では、実際に会った事のある人の中で圧倒的に一番の人だ。
接触こそ少なかったが、研究の仕方や頭の使い方を含めて色々な事を教わった。
初めて人を尊敬した。(会った事ある中で)

凄い人はいる。他の研究室の教員についても多くの噂を聞いた。

自分の生きてきた世界がいかに狭かったか。
どれほど自分のしょっぱい能力に胡坐を書いてきたか。

それこそ准教、教授とかは熾烈な競争を勝ち抜いてきた知的エリートたちだ。
エース級の教員ともなると、頭の良さも研究への情熱も、半端じゃない。
自分の理想となりうる人に会える可能性は非常に高い。

だから、放置プレイはもったいない。
食らいついて、盗めるものは何でも盗むっていうぐらいの気概を持てば、遥かなる高みへ登るための案内図ぐらいは手に入るだろう。


研究室の賢い選び方



では、どうやって自分にとって幸せな選択をする事が出来るのか。

ありきたりなところをまず言うと、
・自分がどうしたいのかを考える。(研究/遊び/就活etc)
・研究に没頭したい場合、テーマを考えれば一意的に研究室が決まる場合がほとんど。他の条件はもはや関係ない。
・情報を集める。
・選択する。


自分が研究室に何を求めるかをしっかりと把握できていれば、半分以上は決まったようなもの。
テーマの自由度が重要なのか、時間が欲しいのか、仲間が欲しいのか。

さて、どの条件を見るのかが決まったら、後は情報を集めるのみ。

ソースは大体以下の通り。
・HP
・口コミ
・研究室紹介のプレゼン
・研究室訪問(教員/学生)

やはり口コミは相当大事。
大体そのころには周りも色んな情報を持ってるから、聞きまくろう。
これだけで必要な情報の大部分はわかるが、学生部屋へ訪問すれば、緩さとかある程度までは教えてくれる。
本当の事を言ってるかはわからないけどw

上の悪い研究室のパターンを参考にすると、見るべきポイントは、
・自由度
・研究室の全体の雰囲気
・教員の人柄
・個々の学生の人柄



そして、重要な事を付け加えると、教員(特に教授)の知名度と研究室の人数は押さえておくべき。

国立、私立のトップ校には、極めて知名度が高く学生の人気が高い教員が存在し、その研究室の人気も当然高い。
そういう場合に何が起こるかと言うと、人数制限を設けている研究室以外では、人数が他の研究室とは桁違いに多い。
それに加えて、教授が多忙を極めているので(有名な教授は大体忙しい。TV出演とかがある場合も)他の教員に雑務が流れ、教員全員が身動きが取れなくなる。
そのため、学生の指導にまで手が回らなくなり、完全なる放置プレイ研究室が誕生する。

結論から言って、そういう人気が極めて高いところは辞めるべき。
理由は先ほどの通り。


とまぁ大体これくらいしっかりと調べれば、悪い研究室にたどり着く可能性はほとんどないと言っていい。
研究室は、うまく使えば自分を数段階引き上げてくれるほどの力を持つ。
配属前の数年間よりも、研究室の1年の方が価値が高いんじゃないだろうか。



進路に悩む学生が、一人でも多く助かる事を願って。


関連記事:
大学院の選び方
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テーマ : ★大学生活★
ジャンル : 学校・教育

ノーベル生理学・医学賞 受賞者決定!

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、2009年のノーベル生理学・医学賞を、米カリフォルニア大学のエリザベス・H・ブラックバーン教授(60)、米ジョンズ・ホプキンス大学のキャロル・W・グライダー教授(48)、米ハーバード大学のジャック・W・ゾスタク教授(56)の3人に贈ると発表した。

 受賞理由は「テロメアとテロメア合成酵素による染色体保護の仕組みの発見」。

 テロメアは細胞内にある染色体の末端部分に位置する配列で、細胞が分裂するたびに短くなっていくが、テロメア合成酵素はテロメアの長さを元に戻す働きがある。3人が明らかにしたテロメアとテロメア合成酵素の働きはその後、老化やがん、遺伝病の一部に深いかかわりがあることが判明し、新たな治療法開発への道を開いたことが評価された。

出典:読売新聞HPより抜粋


iPS細胞で今回の有力候補だった京都大学の山中氏の受賞はならなかったようです。

残念!

来年に期待ですね。


ちなみに、彼の研究室に近い関係者に聞いたのですが、iPS細胞のiが小文字の理由は、iPodのヒットにちなんだものらしいですw



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数学的コスモロジーと、この世界

数学は美しい。
他の学問と比較しても、数学ほど完璧に体系的にまとめあげられているものはない。


数学の世界で証明された命題は、永久に成り立つ真理として、宇宙法則のリストに直ちに加えられる。

実際の物理世界を扱った学問においては、完璧に見えるプロセスで検証されたどんな命題でも、”現時点で最良の仮説”に過ぎない。
天動説は更新された。ニュートンも更新された。アインシュタインも、いずれ更新されるだろう。

数学には終わりがない。無限を扱う学問だからだ。
他の科学には終わりがある。
いずれこの世界についてのほとんどのことがわかるだろう。

アインシュタインは、数学を避けた。
「数学の道に進んでしまうと、たくさんの魅力的な問題に取り組むうちに大事な問題を見失ってしまうだろう。
物理だと安心だ。一番大事な問題に集中できる。」
というわけである。


数学の世界に、緊急の課題はない。
プロブレムではなく、ただ純粋にクエスチョンがあるだけだ。

ぼくは、工学の世界にいる。
常にプロブレムソルバーでありたいと思う。
この世界に存在する現実の課題をどう解決するべきかを、常に考えていきたいと思う。
アインシュタインと同じく、この物理世界にコミットしていくべきだと考えている。

数学が、現実世界の科学と交わることはあるのだろうか。
本当の意味では、まだ無いと思う。
交わっている部分が応用数学と呼ばれているうちは。

ただ、2本の平行線は、いずれ一点で交わるかもしれない。
数学は、それをも示唆する。


放浪の天才数学者エルデシュ
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科学と非科学

昨今、様々な学者がメディアに登場し、様々な主張を繰り広げている。
特別の知識を持たない一般市民がこれらの真偽を判断することは、少し難しい。

この主張が科学的であるかどうか、これが1つの判断基準になると思う。

では、科学とは何か。

ある対象を一定の目的、方法のもとに実験、研究し、その結果を体系的に組み立て、一般法則を見つけだし、またその応用を考える学問
出典:旺文社国語辞典より抜粋

とある。


科学的な主張は、必ずいくつかの根拠となる命題を持ち、それぞれが適切な推論によって主張をサポートしている。

科学的かどうかは、大きく2つの視点で見ることが可能である。
・その推論(論理構造)が適切かどうか。
・根拠となる命題は真であるか。



1つ目の、主張が論理的かどうかを判断するという点では、素人にでも十分可能であると思う。
市販のロジカルシンキングの本に書かれている類のスキルで十分判断可能だと思う。ちゃんと身につければ。


2つ目の、根拠が正しいかどうかについては、多分にその分野における専門知識が要求されるし、その命題を導き出した実験や解析などについての知見も持っていなければいけないかもしれない。

ここで、最初に述べたエセ学者云々の文脈で言うと、ひとつ注意しておきたいのが、命題の成立条件である。

その主張が科学的であるためには、主張・根拠が命題として成立していなければいけないという立場が科学の世界では有力だ。
命題の成立条件とは、それが「反証可能性」を有しているということだ。
つまり、その主張は反論ができるようなものでなければならない、という事だ。

1つの基準に、「反証可能性」があるものが科学である、という立場がある。
ある主張に対して反証が可能であること、つまり、反論を出すことができるような主張であること、という条件である。

たとえば、「神は存在する」というのは命題として成立しない。存在しないという証明ができないからだ。そして、だからこそ科学ではないと言える。

ここまで極端ではないが、命題として成立しない主張をしている学者さんはたくさんいる。

上記のような点に気をつけていれば、全く知らない分野でもだまされることなく自分の知りたいことを知ることができると思う。
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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
プロフィール

yack

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