書評レビュー東大生ブログ 右往左往 [Thinking]思考
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備忘メモ:思考を逆に振る

思考を逆に振る、の派生パターン


時間軸について逆に振る
新⇔既

ex)
【既存商品A】⇔【新商品B】

Bに対するAの優位性
→Bだけしかない世界に、Aが新たに発売されると、どう映るか/どう感じるか

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答えのない世界を旅して

答えを追い求める事をしなくなって、どのくらい経つだろう。
正解がある問題を最後に解いたのは、いつの事だろう。

一般的に、何かの問題を解くときは、経験的事実に基づく推論を基にして真実に近づいていく。
ここでいう経験とは、個人の経験や社会学的な知見だけでなく、数学の定理や物理の法則など、科学的に証明されたものも含む。

ここにおいて、答えに至るまでの論理を演繹的に積み上げていける事は、非常に少ない。
数学や一部の物理学のように、ある命題が100%確からしいと言えるような状況は、現実の世界と対峙する際にはあまりないと言っていいだろう。
なので、物理学の一般法則など、既に証明され正しいと言われているものであっても、全ては”仮説”に過ぎないものであり、いつかは更新される運命にある。


大学に入るまで、我々が解く問題には全て正解があった。
ファジィさが多分に含まれる国語でさえそうだったのだ。
なぜ正解があったかというと、その時のゴールは「習った事を完璧に再現する事」だったからだ。
それが目的である以上、物理であれ化学であれ、そこには正解があり、正解にたどり着くための”正しい”推論の仕方が存在した。

ひとたび学校を離れると、我々がやるべき事はそういうことじゃなくなる。

自然科学であれビジネスであれ、そこには必ず一定の”不確実性”がある。
我々には正確に捉える事が出来ない様々な現象が、正しい答えにたどり着くのを不可能にしている。
その中で、求める答えは、考えうる限り”最適”な答え、という風に変わる。
そしてその最適解ですら、不確実性により本当に最適かどうかはわからないというやっかいな状況なのだ。


最適な答えにたどり着くために、私たちはよく帰納的な推論を用いる。
たくさんのサンプルで同時に言える事は、一般法則として認めてもいい。そんな考え方だ。
ただ、帰納法にはもちろん限界がある。
帰納的誤謬。
帰納的推論の帰結である命題が真ではない事。

そう、帰納法はよく間違う。
統計学なんかをやってれば、その理由はよくわかる。

最適解にたどり着くために、私たちはまた、演繹的な推論もよく用いる。
上に書いたとおり、これによる正確な推論は望めない。
そんな時、私たちは、色々な”前提”を置く。
事象のある側面を切り取って、その部分ならある程度正確に推論できるよ、って感じ。

”前提”とは、立場だ。問題解決者が何を考え、どういう立場からその問題を論じるのかは、どういう前提を置いているかを見るとわかる。

不確実な世界では、全ての”科学的”な主張には必ず前提がある。
つまり、ある立場からの主張に過ぎない。

事象の全ての側面を捉えることは不可能だから、どんな主張にも必ず説明できていない部分がある。
そして、説明できていない部分が最も少ない主張が、最適な解となる。


ここで、更に大きな部分で、本人も気づかないうちに置いてしまっている前提もいくつかあるのが普通。
科学の世界でよくあるのは、要素還元論の話。
端的にいうと、「全体は部分の集合である」という仮定。
一見言うまでもない事だが、実はこれを仮定すべきでない/しない方がよい場合はたくさんある。

なにはともあれ、どんな主張をするかに先立って自分がどんな前提に立っているのかをよく理解する事が大事。 



ってまたありきたりでつまらん記事を書いてしまった・・

消そうかな・・
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テキストを読み手が生成し、コピーライトは存在しない?

ロラン・バルトは言う。
テキスト(文章)は、作者が無から創造するものではない、と。
様々な言語活動が複雑に絡み合い、それが読者の解釈によって一意に凝縮された時に初めて、完成を見る。


その意味では、全てのテキストにはauthorshipなどと言うものは存在せず、それゆえにいかなるownershipも成立しえない。


ここで実利的な問題が一点表出するように思う。

テキストを読むという行為のどんな部分に対して、誰が付加価値を認め、それに対価を払うのか。

それ無しには、テキストの(なんと言ってもやはり重要な)存在基盤たる作者は絶滅してしまうではないか!


解釈論とはかけ離れた論点だが、これなしにはテキストの事は語れないでしょ、やっぱり。

個人的な見解としては、バルトがいうような読者が付加価値を生成しているというモデルでは、社会は回らない。

生成した意味表現と価値は、全く別個のものとして扱われるべきであろう。

そして完成形であろうとなかろうと、テキストの作成そのものにも幾ばくかの価値を認めるしか、方法は無いように思う。

それが根源的な価値生成プロセスと直接的に強く結び付けられていると仮定しなければ、これもまた破綻するのだが。。
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過去記事をまとめたくなった

過去記事を見返していたら、結構忘れてることあるなーと思ったので、一部を整理してみる。

思考の作法:
未来を予測する
予測、したい。。難しい。

リサーチの技術
リサーチの技術:全体を忘れない
定量的に評価する
リサーチャーとしての基本。


思考者の哲学:
付加価値第一
これは常に意識する。今も昔も。

そのアプローチはなぜ正しいのか
脳細胞が焦げるまで考え抜く。

プレゼン終わった~
実践は全てに先んず、か?


自戒:
左脳と右脳
最近は、右脳の方が強いんじゃないかと思ってきた。

考えることを
まだまだ。
足りない。

知識の深みにはまるべからず
できて、、、る?

言葉が思考を制約する
言葉は全てであり、全ては言葉である。


環境:
環境とは何か?(1)
環境とは、なんでもない。


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知的メタボリックのすすめ

「知的メタボリック」

情報の海に溺れ、自らの頭で考える事を忘れてしまった人たちは、侮蔑を込めてこう揶揄される。

この言葉がどのレベルで使われているかは寡聞にして存じないが、Input過多である事は同時にOutput過少である事を意味する、それはいかん、というようなところだろう。

言わんとしている事は、わかる。

そして、その主張が孕む、鳥肌が立つような危険さも。

知識の価値再考


Google先生が赴任してきて、物知りの友達の存在価値は無に帰した?
否。まったくもって、違う。

”世界中の情報を整理する。”
Googleのポリシーだ。
彼らが体系化するのは、WorldWideWebという大きなモジュールの中に散在した莫大な数の情報群。
では、その中のそれぞれのテーマという小さなモジュールを、誰が整理する?
検索結果だけで十分?

それはない。
より小さな部分で情報を体系化し、その重要度に濃淡を付けられる人間がいなければ、これらの情報群全体が機能しない。

これと同じ事が、より一般的な議論においても当てはまる。
情報は、すべてが等しく重要なわけではない。
適切なタイミングで適切な情報を提示することが出来るのは、メタボリックな人だけだ。

そしてアウトプットの深さ


近年は、未だかつて聞いたことが無いぐらい、アウトプット指向が高まっている時代であるように感じる。
書店のビジネス書のコーナーに積まれたスキル本は数知れず。
特にビジネスの場面においては、今までは特に仕事ができなくても咎められることは無かった多くの人達が、日本社会がアメリカ型の資本主義に移行するに従って危機感を募らせ始めた事が影響している、と言った言説が目につく。

自分もそういったスキル系の本や啓発本は結構読むが、
表層的なテクニックを唱える書が氾濫する事は、いかなる側面においても人間の能力に良い影響を与えないのは明らかだ。

短絡的な行動指針をテンプレート化して脳に埋め込む事で、効率的に情報を処理出来るというのは確かに事実だ。
ただ、その事実が暗に意味するのは、自らの意思決定に対する理解の放棄、全脳的な思考停止だ。


上位の前提について考える習慣を持たない事で、状況判断の正確さに欠け、著しく柔軟性を失う。
そして、そのようなプロセスから吐き出された成果物は、浅い。圧倒的に浅い。

このような思考停止が習慣化してしまうと、もはや本質的な意味での成長は望めない。

アウトプットの質とは、時間対効果という単一の指標のみで測れるような類のものではない。



知識を携え、真理の海へ


本エントリは、情報のInputのみに邁進することを奨励するものではない。
ただ、過度にOutputに傾注する事は、ものすごく薄っぺらい人間を造りはしないか、ということだ。

この世界についての強烈な知的興味から生まれる思考は、いずれ広大で深遠なる真理の海へと漸近していくのではないか。


”知的メタボリックのすすめ”とは、雑食のすすめでもある。
肉も草も、そして文字すらも食べる男子(女子)であることが、大事だということである。

専門性の殻に閉じこもると、視野が狭くなる。
過去に書いた記事のように、自分の判断が依って立つ、より上位の前提が全く見えなくなってしまう。


雑食によって平衡感覚を保つ。
分野横断的な思考こそが、真に上質なOutputにつながる。


Googleはアイザック・ニュートンと同様に本物の巨人となってしまったが、
我々は”巨人の肩に乗る”事で初めてその視座で世界を俯瞰することが出来る。

そして、そこで初めて巨人の肩を”盛る”事が出来るのではないだろうか。


関連記事:
Reader = Leader ??
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備忘)発明に取り組む方法

発明に取り組む方法とは、次のように自問することである、

(既存のモノについて)
これは正しく機能しているのだろうか。
可能な限り最善の方法で機能しているだろうか。
何か問題はあるのか。
どうしたらそれを改善できるのか。

出典:フォークの歯はなぜ4本になったか




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ただひたすらに、仮説を立てる

”1つのニュース記事を見て、仮説を100個立てられなきゃ、まだまだだ。”

どこかのコンサルティングファームの偉い人が言ってたとか言ってなかったとか。
又聞き。

論文を読んでたら、それをどう改良するのか、どうやってより深く掘っていくか、どういう横展開の仕方があるのか、数10個ぐらいは仮説が思い浮かぶ。

1つのニュース記事でそれをやること。
これが大変なことだということは想像に難くない。

考えてみると、ニュース記事を読んで出す仮説とは、いくつかの種類がある。
・現状の仮説
・問題点の仮説
・問題解決の打ち手の仮説
さらに、抽象度の高低を考えると、出そうと思えば無数に仮説を出す事が出来てしまうんじゃないか。

おそらく、上のコンサルタントが言っているのは、ニュースの対象全体を要素に分解して、最下層の要素一つ一つに仮説を割り当てていくという事なんだろう。

ここで、目的に立ち帰ろう。
仮説を一杯出すトレーニングをするのは、筋のいい問題点/解決策の仮説を出せるようになるため。
とすると、そこまで全体思考に基づいた多くの仮説を出す必要は、そもそも無いだろう。

当たる確率の高い数個の仮説を出せればそれで十分なのではないか。

そしてそのためには、多くの仮説を出すトレーニングは必要なのか?

良い仮説を立てるには、おそらくは、2つのアプローチがある。
・多くの仮説を立てる→見当をつける
・見当をつける

前者が早くなって後者のように見える。本当にそれだけだろうか。
後者の能力を磨くだけでは足りないのだろうか。

多くの仮説を意図的に立ててから絞るプロセスを踏む事と、無意識下で不用な要素を切り捨てる事、これは本質的に同一のものなのか。
脳機能の同じ部分で処理されている作業なのか。

そうではないような気がする。
脳科学的に。

知識が足りないから、はっきりとは言えないけど。

もっといい方法があるかも知れない。
そう考えるのも、1つの仮説だ。


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リサーチの技術
リサーチの技術:全体を忘れない


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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
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