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「自分のアタマで考えよう」を読んで自分の頭で考えてみた話

人気社会派ブロガーちきりん氏の著作「自分のアタマで考えよう」を読んだ。社会人が所謂ロジカルシンキング周りの方法論について最低限押さえておくべき内容が、平易な表現でコンパクトにまとまっている一冊だった。

ただ、個人的に気になった、というか読み始めて3分でちょっとこけてしまった事があったので、ここに書いておく。



問題の箇所は、序章『「知っている」と「考える」はまったく別モノ』にある。

データを見ながらゼロベースで何が言えるかを考える思考態度が重要であると説く本章の中で、まず読者は下のようなデータを見ることになる。


本書p.4 図1を参考に著者作成
※元データは本書著者による仮データ


ここで登場するのは、ちょっと頭の悪いAさんと、聡明で日本の野球事情に疎い留学生Bさん。

Aさんはグラフを見て、

・ファンの高齢化でプロ野球の未来は暗い
・大リーグへの選手流出で魅力が無くなってる


など、自分の知識に基づいて喋ってしまうが、一方Bさんは、

・余暇に使える時間が長く、懐も暖かい高齢者のファンが増えているので、日本の野球界は明るい

と主張する。
本書では、知識ではなくゼロベースで考えたBさんの方が正しい、こういう思考をすべき、という流れになっている。


一見すると確かにゼロベースで考えていて、言っていることも妥当そう、と思いがちなのだが、このまま話が進んで行ってしまったことに若干の残尿感を感じたので、もうちょっと細かく見てみたい。

Bさんの主張で大きく推論が飛躍してしまっている部分は、
>余暇に使える時間が長く、懐も暖かい高齢者のファンが増えているので、
というところ。

実際の所、このグラフが示しているのは「構成比」のみであり、1990年のファンの数と2010年のファンの数がどのくらいなのかという情報は全く含まれていない。
つまりBさんは、積み上げ棒グラフ(絶対値)と100%積み上げ棒グラフ(比率)を混同していることにより、上記グラフを見ただけで高齢者の絶対数が増えている、と結論してしまった。

構成比のグラフが上の通りだった場合、ファンの総数の変化としては次の3つのケースが考えられる。


※1990年の人数を100とした

野球ファンの全人口が、1.増加しているケース、2.横ばいのケース、3.減少しているケース、である。

もし実情がケース3だった場合、高齢者の野球ファンの数は増加しているとは言えない。つまり、構成比の図だけからファンの数が増加していると見ることはできない。この点がBさんの最も単純かつ致命的なミスであり、「データを元にゼロベースで考える」ことができていなかった点でもある。

実際問題、日本野球界の直面している現状はおそらくケース3=野球ファンの絶対数の減少であるというのが最もありそうなケースである。むしろ、この20年で高齢者の数自体が増えているので、むしろ高齢者人口の中の野球ファン比率は他の世代よりも劇的に減少している可能性もある。

もう少し細かく考えてみよう。

ケース3を仮定した場合に、考慮すべき点はまだまだ沢山ある。
例えば、時系列での推移による場合分けも幾つか。


※1990年の人数を100とした

これも、実情がどのケースかによって、打ち手はだいぶ変わってくる。

さらに、増えている高齢者層の中身がどのような人達なのかも想像する必要がある。

・もし1990年には全員男性だったのに対して2010年は50%が女性で占められていたら?
・1990年には全国に散らばっていたが2010年ではホームチーム所在都市在住者が多い可能性は?

自分がもし日本プロ野球連盟の会長なら、以下のように収益の軸でも考えるかもしれない。

・高齢者は確かに人数ベースでは多いが、主に地上波での試合観戦や月に数回球場に足を運ぶ程度で課金額は少なく、グッズを買ってくれたりCSを年間契約してくれる若年層の方が課金率や単価は高い。人数は少なくともそちらにフォーカスすべきだ。

現状がどうなっているのかを正しく判断できなければ、とりうる打ち手の方向性が大きくずれてしまう可能性が高い。

プロ野球連盟の会長が上のような仮説を持ち、それが正しければ、若年層向けのCS放送加入キャンペーンに力を入れるかもしれない。

以上、色々と軸を変えながら細かく切り分けて見ていけば、だいぶまともな仮説が思い浮かぶが、長くなるので以下略とする。分析、問題解決を生業とする人達であれば、このくらいはだいたい15秒もあれば検討できると思っている。




確かに、本章が示すメッセージはあくまで「データを見る時はゼロベースで考えることが大事」という程度の導入的な位置づけなので、別に重大な問題でもなんでもないと言えばそうである。

しかし、全編を通して【課題(事象)の把握】と【施策(打ち手)の検討】というアプローチが全く異なる2つのプロセスを明確に分離して論じている箇所が無かったことは気になったし、そういう意識を持つことが出来ていればかわいそうなBさんは上記のミスを回避する事ができたとも思うのだ。

このように、現状を把握する事ひとつとっても、そこには圧倒的な構造の深さと多様性が潜んでおり、考えるべき事は無限にあるように思えてくる。それでいて、その1つでも取り違えるてしまうと、大きく的を外してしまう可能性を秘めているところに、問題解決のむずかしさ、そして「考えること」の奥深さがある。

思考の確度を上げるためには、事象の把握⇒打ち手の検討、のプロセスを正しい道筋で一歩ずつ進んで行くことが重要であり、本書を読んで「なるほど」と唸った読者は、長く続く思考の道の一歩目をようやく踏み出した所だろう。物事を部分に分け、もれなくダブりなく重要なポイントについて検討していくことで、それまではなんの事無しに通り過ぎていた情報から、その他大勢とは一味違った意味のある示唆を導き出すことができるようになる。

しかし、その鍛錬の道中で我々が気付くのは、思考するということは世界の複雑性を一身に引きる事と同義であり、ちきりん氏が考えるよりも遥かに入り組んだ世界の表層のほんの1ミリにも満たない薄皮一枚の部分でさえ、思考し尽くすことは困難を極める、という事実である。本書が説く、所謂フレームワーク的ロジカルシンキングは、偉大な先人達の思惟のただほんの一部分を体系化したに過ぎない。フレームワーク的な技術とは、「思考を捨てる」技術でもある。

何にしろ、ちきりん氏が本書の結びで述べているように、考えることは素晴らしく楽しい営為である。「考えること」について考えることもまた、素晴らしく楽しいことだと自分は思っている。
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