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全てが音より始まることについての一講話


Cristo Redentor / Rodrigo_Soldon


モーセの十戒に、次のような項がある。

あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。

― 出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」


人類の記録に残っている限り最古の、偶像崇拝の禁止についての言及である。

ユダヤ教、イスラム教をはじめとした世界の主たる宗教では、偶像を作りこれを崇拝する事が厳密に禁じられている。

宗教が、そして神がこれほどまでに偶像崇拝を忌み嫌った理由としては有力な説が諸々あるが、哲学的な観点から明確に論理的な説明を求められれば、次のように答えるのが正解だろう。

万物を統べる完全者であり超越者たる神は、我々人間が思考しうる限りの1つの全体性を持たない無限の存在である。つまり、人間の脳には、その御姿の外郭は視覚的にも意味論的にも捉えきれないものである。
そんな神を我々人間が存在する物理的な次元の中で明確な形を持って表現する事は、無意味であり、且つ神の無限性を大きく傷つけることになる。それはすなわち、神に対する冒涜である。



人間の想像の枠を軽々と飛び越える「無限存在」としての神。
まさに Don't Think!Feel! 的な圧倒的な断絶がそこにはある。

一方で、そう定義された神と、一介の物理的存在でしかない人間は、しばしば交流が可能である。
歴史上の多くの聖典にそう記されている。

我々が思考すること適わない存在が初めて現前するその形式は、他ならぬ神の「声」である。
敬虔な宗教者のもとに、(あるいは最も罪深い者のもとに、)ある日突然神の声が届く。
それは予期しない突然の交流であり、「啓示」(エピファニー)と呼ばれる。
エピファニーの語源は、ギリシア語のエピファネイア(επιφάνεια)で、「現れ、奇跡的現象」というニュアンスを含む。
これは多くの宗教的な書物に共通する神と人間の交流方法であり、完全に人間の認知能力を超えていると思われた神の存在の一部は、実は.mp3形式で保存する事が可能である。

あらゆる宗教において、神は人間と音声による交流をする。
「神」という存在が、人間意識が包摂し得ぬものであるにもかかわらず、音声による交流の道は常に開かれている。

音声を表象よりも根源的なものとして措定している記述は多く見られる。
中でも次の一節は最も有名なものだろう。

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

旧約聖書 創世記 第一章

光は声より生まれた。音声は、表象の起源である。聖書はそう教えている。

表象不可能なものの追い求めかたを、人間は音に見出してきた。




※上記文中の記述の多くの部分は、内田樹「レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)」より抜粋、整理したものです。
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