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宗教とゲーミフィケーション

ゲームは時として、我々が現実世界では到底体験できないような素晴らしい体験を提供してくれる。

著書「REALITY IS BROKEN -幸せな未来は「ゲーム」が創る」の中で、ジェイン・マクゴニガル氏は自信たっぷりにそう語る。


現実世界は、我々が人として成長するための適切なハードルを適切なタイミングで提供してはくれない。現実は、しばしば退屈すぎる。
その退屈すぎる現実を、(逆説的ではあるが)ゲームを通して修復しようというのが彼女の主張であり、そして大きなビジョンでもある。


「現実をゲーム化する」


最近では、各種メディアで”ゲーミフィケーション”という言葉を目にする事が多くなってきた。つまらない、いつもと同じような日常の一場面を切り取ってゲーム化することで、生産性が上がったり、これまでよりも熱中する事が出来るようになる、そんな効果が認められいま世間の注目が注がれ始めた概念である。

いわく、「お前ら雑務をゲーム化してみろ。色々捗るぞ」というわけである。

先のマクゴニガル氏の言葉を借りると、「ゲーム」をゲームたらしめる特徴は4つある。

・ゴール
・ルール
・フィードバックシステム
・自発的な参加


このいずれか1つでも欠けば、それは良いゲームとはなり得ない。

ここで上記の項目について詳細な論に入ることは避けるが、これらの点は、人間の極めて根源的な感情が依拠しているもの、つまり、何かに突き動かされる時に必要な前提条件とも言うべきものである事がわかる。世界中の人々が寝食を忘れて熱中するほどのゲームが確実に持っている要素が、人間の本能的な生への意志と深く関わっているのは、思えば当然のことかもしれない。


最近、ふと考えたことがある。

宗教も、同じではないか、と。

人類が発明したなかで最も巨大な(疑似)志向性生成システムである宗教は、数千年をかけて熟成されてきただけあって、なかなか良くデザインされたゲームのように見える。

極めて明快なゴール設定(神の祝福を受け、天国へ)。
そのゴールへ至る道程に示された幾つものルール(祈り、経典順守)。
それを守り続けることによる精神的な、しかし確かに宗教者が感じることのできるフィードバック。
最後に、それが必要とする高いレベルのコミットメント。

これらすべてが複合的に絡まった巨大な仕掛けが、その制約の強さと計算された内面的フィードバックによって維持されている。


良いゲームを創るには、細心の注意を払いながらそのゲームの包括的なデザインを様々な観点で根気強く検討していくというプロセスを踏む。

宗教のデザインも同じだろうか。
人類は、長い時間をかけて、自分たちができるだけ長時間他の事を全て忘れて没頭できるようなゲームを創ることに多大なる力を注いできたのだろうか。それが創りだしているものの内容はともかく、我々は気付かないうちに人類の全史を上げたメタなゲームをプレイしているのではないだろうか。

これほどまでに巨大で入り組んだゲームを創ること、その事自体に人間の本能が深く入り込んでいるような気がしてならない。
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