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ソーシャルメディアは「社会」のメディアになれるか

「ソーシャルメディア」という言葉が一般に普及して久しい。既存の一方通行的なメディアと対置される新時代のメディア形態として次々とその担い手が出現している現在において、ソーシャルメディアという概念そのものの意義が問い直されることは少なくなった。

では、ソーシャルメディアはこれからの世界を形作る上で文句なしに重要な役割を演じるのだろうか。

本当に?

ソーシャルなメディアとは一体なんなのか



そもそも、ソーシャルメディアとは何であろうか。
それをはっきりさせなければ。


Wikipediaによると(新語ゆえにここ以外で定義がなされていない)、

ソーシャルメディア - Wikipedia

ソーシャルメディアは、誰もが参加できるスケーラブルな情報発信技術を用いて、社会的インタラクションを通じて広がっていくように設計されたメディアである。


とある。

社会的インタラクションって?
広がって行く・・・・何が?
とか、疑問はあるものの、まぁ言わんとする事はなんとなーくわかる。


続いて、こうある。

ソーシャルメディア <概要> - Wikipedia

ソーシャルメディアは、インターネットやウェブに基づく技術を用いて、 ブログやtwitterのつぶやきのような一方方向の独り言を多くの人々に伝えることによって、 多数の人々が参加する双方向的な会話へと作り替える。 ソーシャルメディアは知識や情報を大衆化し、大衆をコンテンツ消費者側からコンテンツ生産者の側に変える。



つまり、各個人が情報発信者となり、マスコミュニケーションによる知識の集積を行うもの、これが「ソーシャルメディア」と呼ばれるものだと、そういう事らしい。


では、これがなぜ、「ソーシャルメディア」と呼ばれるのだろうか。

ソーシャル(英:social) 
 社会的な、社交的な、の意。

メディア(英:media)
 媒体。手段。特に、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体

  出典:大辞泉


「ソーシャルメディア」=「社会的な媒体」=「社会に関係する/社会性がある媒体」。

その心は?

ソーシャルメディアは社会の縮図であり、且つ、社会性のある情報流通媒体である。
そんなところだろう。


ソーシャルメディアの社会性



ブログやTwitterが各個人の知識や情報を大衆化させ、相互間の交流を促す媒体である事は疑いようが無い。これら媒体は、既存の産業メディアが持ち得なかったネットワークを持ち、既存の情報消費者が決して触れることができなかったコンテンツへリーチする事を可能にした。その意味で、これは大きな変化であり、情報「革命」である。
その点に異論はないだろう。

では、ソーシャルメディアは、我々人間社会を代表するものとして、社会の情報流通を一手に担うメディアに成長しうるのだろうか。


いや、問いを変えよう。

ソーシャルメディアは、本当に我々の「社会」を代表しうるのか。


この問いに答えるのはいささか骨が折れるが、ゆっくりと演繹していく。


例えば、ソーシャルメディアの走りのようなサービスとして、巨大掲示板2chを挙げたい。

上で述べたソーシャルメディアの定義にほぼ合致している2ちゃんであるが、その評判は一般社会においては総じて悪い。罵詈雑言、荒らし、低レベルな発言。2chについて”大人たち”から聞こえてくるのは、こんな批評だけだ。お世辞にも、まともなメディアとして見られているとは言えない。

さて、2chはどこが悪かったのだろうか。

情報発信者が主に匿名である事?
そう。その通り。そのせいで、我々には2chが悪の権化のように映る。

しかし、ここでちょっと考える。

2chにおける情報発信者=コンテンツ生産者とは、誰だろう。
それぞれの発言は、もちろんそれを発信した各個人のものである。当たり前。
でも、それは物理的な話。

2chがソーシャルメディアだと定義した場合、どうだろう。
それが社会であるためには、その要素たる各個人が存在しなければならない。
匿名での情報発信者は、個人たりうるのだろうか。
答えは、おそらくNoだろう。
各個人が個人として定義されるのは、それらが「何であるか」に依存するのではなく、それらが「何を生産したか」に依存する。WEB上には「人間そのもの」という観念は無い。それぞれが生産したものによってのみ、個人は規定される。
つまり、2chは匿名であるがゆえにコンテンツ生産者が不在であり、それゆえに「社会」ではあり得ないのだ。

2ch内が罵詈雑言に溢れているのは、それが匿名によってなされるからだ。全員が実名であれば、こういう状況にはならない。その意味で、2chは”悪く”は無い。そうなるのが当たり前。

匿名での発言は、個人の内面に過ぎない。


いくら内面が悪人でも、全ての対外的な行為が良いものであれば、その人は社会的には善人である。行為が、生産物が個人を規定する。その個人の集合体が、「社会」なのだ。

だから、2ch内のコミュニケーションは実社会では起こり得ない、実社会を代表し得ない、という事だ。

つまり、行為を生まない匿名での情報発信によるコミュニケーションは、「社会」を形成しない。


この点で、ブログやTwitterでも全く同じことが言える。

それらが匿名によって為される以上、個人が不在であり、ゆえに社会を代表する媒体、社会的な媒体とは呼べないのだ。

現状では、まだこれらのサービスは匿名による利用がかなりの部分を占めている。この割合が下がっていかない限り、これらソーシャルメディアは「ソーシャル」なメディアにはなり得ない。良質なコミュニケーションによる情報の交換はなし得ない。


論点は、1つ。

匿名か、実名か。

ソーシャルメディアの旗手たちが本物のメディアになるためには、実名利用率を上げる方策を真剣に考えるのがいいだろう。


既存のマスメディアが押し付けるイデオロギーを振り切ることができる(今の所)唯一の媒体として、これらのサービスの今後の発展にものすごく期待している。



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