書評レビュー東大生ブログ 右往左往 スポーツの価値 - あまりに刹那的な芸術
QLOOKアクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

スポーツの価値 - あまりに刹那的な芸術

この間酒の席で誰かと話した事について、ちょっと考えてみた。

スポーツ、それも連続性が高いスポーツは芸術であるという話。


例えばサッカー。

我々は、結果を見るために金を払ってスタジアムに行くのだろうか。自分の応援するチームの勝敗を確認するためにWOWOWと契約するのだろうか。


それは違う。
少なくとも、目の肥えたヨーロッパの人達は。


彼らが楽しみにしているのは、チームが勝つ事だけじゃない。
点が入るシーンを見る事。これも違う。

彼らが見るのは、ゴールに至るまでの連続的なプレーの流れ、もっと言うと一瞬のプレー(パス、シュート)の中に存在する美しさであり、芸術性である。

そう。彼らは、優れた芸術を探すのと同じように、サッカーを見る。


この一本のパスを見るために金を払った甲斐があった。
このシュートを見るために。

彼らはそう言う。


組織的に良く守った。
90分を通してボールを支配していた。

そんな事実には、価値は生まれない。

極めて刹那的に、ゼロコンマの間に凝縮されたもののために、金を払う。


サッカーを長く見ていると、得点に絡まないたった一つのプレーに涙する事がある。
我々人間が本来持っている、”美しさ”に対する本能的な共感がそうさせている。



我々には、「結果」は見えない。

点が入った。試合に勝った。
これらに感動を覚えるのは、これらが文脈に基づいているからであり、なんらかの外的な意味づけが為されているからである。
日本代表が勝っても、アメリカ人は何とも思わないであろう。これらの感動は、我々の過去に依存する。
また、これらの事実は、ルールに規定されている故のものである。「ボールがゴールラインを通過したらゴール」と言う事を知らなければ、ゴールを確認する事は出来ない。

得点とか勝敗と言う事実は、サッカーそのものを知らない少年が見た時に、何の意味も成さない。
つまり、これらは本質的に確認できないもの、”見えない”ものなのである。我々の「解釈」に過ぎない。


それに対して、1プレーの美しさは、普遍性を持つ。
人間が生得的に持っている審美眼によって捉える事ができる。根源的・原始的な美しさとして。何を知らなくても、それはわかる。優れた芸術作品が文化・言語・知識の壁を越えて万人の心を打つように。


どういう見方がいいとか、そういう話ではない。
余計なものをすべて取り払った後に残る価値の源泉は、そこにあるというだけの事だ。

普遍性を持った芸術としてのスポーツは、瞬間の中に存在する。
関連記事

他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

コメントの投稿

非公開コメント

"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
プロフィール

yack

本棚のアウトソーシングに成功しました。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
Lc.ツリータグリスト
検索フォーム
FC2カウンター
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。