書評レビュー東大生ブログ 右往左往 テキストを読み手が生成し、コピーライトは存在しない?
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テキストを読み手が生成し、コピーライトは存在しない?

ロラン・バルトは言う。
テキスト(文章)は、作者が無から創造するものではない、と。
様々な言語活動が複雑に絡み合い、それが読者の解釈によって一意に凝縮された時に初めて、完成を見る。


その意味では、全てのテキストにはauthorshipなどと言うものは存在せず、それゆえにいかなるownershipも成立しえない。


ここで実利的な問題が一点表出するように思う。

テキストを読むという行為のどんな部分に対して、誰が付加価値を認め、それに対価を払うのか。

それ無しには、テキストの(なんと言ってもやはり重要な)存在基盤たる作者は絶滅してしまうではないか!


解釈論とはかけ離れた論点だが、これなしにはテキストの事は語れないでしょ、やっぱり。

個人的な見解としては、バルトがいうような読者が付加価値を生成しているというモデルでは、社会は回らない。

生成した意味表現と価値は、全く別個のものとして扱われるべきであろう。

そして完成形であろうとなかろうと、テキストの作成そのものにも幾ばくかの価値を認めるしか、方法は無いように思う。

それが根源的な価値生成プロセスと直接的に強く結び付けられていると仮定しなければ、これもまた破綻するのだが。。
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