書評レビュー東大生ブログ 右往左往 2010年11月
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これまでの5年、これからの5年。

本日11月28日、25歳になった。

20代の折り返し地点だ。


誕生日に記事を書いたのは初めてだけど、節目の年なんで色々思う事を綴っておく。


Twitterより。
”あと30分ちょっとで25歳。振り返ると、20歳になりたての頃の自分とか、今だったら親指で捻り潰せる程度の雑魚キャラだったな。確かに一瞬だったけど、とても濃厚で楽しくて幸せな一瞬だった。5年後には30歳。異次元レベルの成長ができるといいと思う。2、3国の主ぐらいにはなってないと。”

ものすごく月並みな感想として、20歳になってからの5年間は物凄く早かった。自分の人生がそれまでとは違う方向に大きく舵を切ったのはこのあたりだったし、あれからもう5年も過ぎたのかという気持ちだ。

実に色んな事があって、環境や自分の歩む道も変わり続けた中で、全てを思い出すのは難しい。でも、多少の不安とともに1人北海道から出てきた時には想像もできなかったほど多くの素晴らしい出会いがあり、周囲に支えられてここまでやってこれたと思っている。
学部と院の両方ですごくいい仲間達に巡り合って笑いながら過ごせてきた5年間はとても幸せだったし、自分の大きな財産だと胸を張って言える。


そして、そんな周囲から数え切れないほどの刺激を受けながら、この5年間で自身が大きく成長できたことを手に取るように実感できる。

順調かどうかはわからない。まだまだ出来ない事も多い。しかし、昔に比べて確固たる自信を持てるようになった今現在の自分は、20歳の時とは比べ物にならないほど”強い”と思っている。物事を明晰に考えることができるようになった事、未知の領域に飛び込む事が昔より迷いなく出来るようになった事、世界との対峙の仕方を知った事。

25歳という区切りの時に、ほんの一時だけ自分を褒めたいと思う。
そしてこれから来る5年間で、自分がどこまで大きくなれるのかが楽しみで仕方が無い。


特にIT業界などでは、2000年代は「ドッグ・イヤー」と呼ばれている。犬が人間の7倍速く成長する事になぞらえて、1年がこれまでの7年分に相当するほど早く時代が移り変わっている事を指す。有史以来人類が体験した中で最も速いスピードで技術革新が為され、我々を取り巻く環境は激変していっている。
ちょうどそのど真ん中で20代を迎え、いまだ風を切って疾走し続ける世界を肌で感じながら、初めの5年間を終えたわけだ。

自分の生活レベルでも実に多くの変化があったし、学問や技術、社会システムすらも予想し得ない変動の中でその動きを加速させている。

これからの5年間もきっと同じくらい、いや、これまでを上回るスピードで多くの物事が変化していくのだろう。こんな「不確実性の時代」の中、これからの5年間を歩み始める自分がすべきことはなんだろう。自分の核を保ちつつ、その場その場の環境に素早く適応していく事だろうか。

たぶん、それはちょっと違う。


”変化を楽しむ”こと。そして自分が享受している幸せを精一杯感じること。
これが、次の5年間で自分が肝に銘じなければならない事だと思う。
これまでもそうしてきた。同じことだ。


そこに人がいて、社会があり、その奥に世界がある。
これは5年後もたぶん変わらない。
このシンプルな構造を、生まれたての赤ん坊のような強烈な好奇心を持って眺める事ができる。これが自分の最大にして最強の強みであるし、日々を生きる事の豊穣さと世界の裏にある原理の豊穣さを分かち難く繋げている規律である。


これからの人生にどんな未来が待っているかは知る由もないが、なんにしろ、あれこれ考えたってなるようになるのである。人生は全て認識の問題であり、それをどう感じるかは自分自身が既に持っている内的な世界と強く呼応しているだけだ。


まずは、修論。


”現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ。
真実はやがて現実となるのである。”
湯川秀樹

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森を見て木を見てまた森を見るということ。

「木を見て森を見ず」と、いう言葉がある。
目の前の小さいことに気を取られ、物事の全体が捉えられていない状況を言う。それではいけない、という教訓である。


全体感を持て。
大きな絵(ビッグ・ピクチャー)を描け。
俯瞰的な視点を持て。


これらはすべて、言い回しは違えど、全て同じことを言っている。日本にも諸外国にも、同じような意味の言葉は山ほどある。それだけ重要ということだ。



自分の一番の強みは何よりもまず”森を見る”事ができる点かな、と常日頃思っている。誰よりも大きく、深く、壮大な絵が描ける、それを強烈に意識している。

目の前にどっしりと鎮座するリアリティが溢れんばかりの事象を、必死になだめすかしながらその抽象度をじわじわ上げていく。この個別具体的な事象から展開された世界の構造はどうなっていて、自分は今そのどこらへんにいるのか、そしてそれともっと”外側”との関わりはどうなっているのか。要素間の有機的連関。虫瞰と鳥瞰。


これがきっちりと出来ていれば、目の前の小さな事に対して取るべき行動はめったなことでは外さない。目の前にある何かがどんなことを前提として存在しているか、それと世界との整合性、論理構成。森が見えていれば、どの木を見ればいいかなんて瞬時に分かる。


それだけ強く意識していても、ふっと気を抜いた瞬間に道に迷ってしまう事も結構ある。常に森を見続けるのは、なかなか難儀な事なのである。森をみながら木を見ることは、難しい。

それは、基本的に我々の脳がマルチ=タスキング仕様になっていない事に強く関係がある。複数の作業を同時にやることはできない。普段の生活でも、やれているように見えて、実はかなり効率が下がっていたり注意が散漫になっていたりする。

実はこれ、コンピュータでも同じである。ブラウザを開きながらiTuneで音楽を流し、更に表計算まで行うことができる、マルチ=タスクの達人とも言えるPCだが、コンピュータの中で実際に行われているのは、それぞれの作業をものすごく細かく分割して、A→B→C→A→B→.....という逐次処理を超高速で回しているだけだ。これが我々の目には同時並行的な作業に見えているにすぎない。



このように、我々が同時に物事を処理する事ができない以上、どうしても木”だけ”を見ている瞬間がある。

一般的な思考過程に置いて、森は「概念」である。個々人の脳内の情報空間に措定された実体のない冷たいものである。
それに対して、木は我々のまさに目の前に存在し、その存在感や質感、匂いや音すら感じる事ができるものである。この圧倒的なリアリティを前にして、我々の意識は瞬く間にその存在に捕らわれる。五感のすべてを刺激される中で、この誘惑はとても強いものとなる。

だから、我々は目の前の作業に没頭しがちだ。脳の中の無意識が頭の片隅にある森の重要性をどれだけ強調しようと、それはもはや遠い声に過ぎない。その時の自分にとっては、目の前にある”それ”だけが「世界」なのだ。


これは、自らが持つ知力の限りを尽くした闘争である。
これは、人間の本能に逆らって理性をその手に取り戻す長い旅である。
全体感を持つ事が大事、なんていう生易しいメッセージに騙されてはいけない。強烈な現実感に負けて永遠にそこから抜け出せなくなることを防ぐために、我々は歯を食いしばって抽象度を上げなければならない。


それくらい、森を見て木を見ることは、難しい。
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身体化された映画館 - iTune映画体験レポート!

先日Appleが開設して話題になったiTune映画ストア。現在400本あまりの映画(新作/旧作)をダウンロードしてPCやiPad上で楽しむという、アレである。



画像にあるように、人気の作品が結構沢山並んでいて、サービス開始直後としてはかなり力の入ったラインナップと言える。

近日中に試そうと思っていたんだけど機会が無くて、さっき初めて映画を1本見た。本記事はその体験レポ。


ダウンロードには「レンタル」と「購入」の2種類があって、レンタルの場合は低価格で再生に有効期限がある。ざっと見た所、価格の中央値はレンタルでは300円ぐらい、購入だと2000円ぐらいといった印象だった。

今回は、コメディ映画の全米歴代最高の興行収入をたたき出した「ハングオーバー 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」(2009, 原題:The Hangover)を選んだ。もちろんレンタル。

購入/レンタルは音楽と全く同じ要領で、レンタルのボタンをぽちっと押すと決済処理がなされ、ダウンロードに移る。本作は1.5GB程度で、15分ちょっとでダウンロード終了。

今の所iPadで購入とレンタルを行うことはできず、PC上のiTuneでのみ映画を買うことになっているので、ここからiPadで見るための同期作業に入る。これには2分もかからなかったように思う。

最初はわからずに色々と探しまわったんだが、同期したムービーはiPadの「ビデオ」アプリに格納されているのを発見。開くとこんな感じ。


アップロードツールのせいですごいぼやけてるけどw

再生ボタンを押して再生。

あとは映画を堪能するだけ。内容の感想はまた別の機会に。すごく面白かった。

そして一通り見終わった後の使用感なんだけど、結論から言えば、非常に満足している。これなら、わざわざツタヤまで映画を借りに行かずにこっちでサクサク借りてしまうかも。価格に差があることを考慮しても。


HDの映画では無かったものの、映像は十分に綺麗だったし、固まったりもせず軽快に再生された。画面の小ささも全く気にならず、映画の中に入っていけていた。

そして一番嬉しかったのは、iPad端末だからこそ可能な、”ベッドで寝っ転がりながら視聴する事ができる”というもの。部屋の中もすっかり寒くなって来た昨今、これは非常に助かる。暖かいベッドの中でぬくぬくしながら映画を見ることができる、これこそ至福である。なんなら掛け布団の中に完全に潜ってしまっても見れるのである。この視聴スタイルは、もはや場所も環境も選ばない。まさに、「身体化された映画館」である。

これなら移動時間なんかにも気軽に見れるし、可能性は無限大に広がったという感じだ。


メモリを結構食うので、見終わったらiPadの方は消しておけばいい。


今後も多くの作品iTune映画ストアに登録されると予想できるが、魅力的なタイトルがどんどん増えて行って欲しい。どんどん使っていくつもりだから。
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情報の流れと、見える化と。

最近は、学会発表の概要提出締め切りやなんかで結構やることがたくさんある。それに加えてカードの不正使用があったり卒業後のあれこれについて考えなきゃいけなかったりと、タスクは積み重なっていくばかりだ。

もう色んな所で書き尽くされた仕事術の類を書くのはあんまり好きじゃないんだけど、自分がこういった日々を過ごす中で、効率性を高めながら日々の仕事をこなしていくためにやっぱりこれって大事だなぁと実感しているポイントがあって、これはある程度一般性が高く皆にとって有効な事なんだろうと思っているので、少し書き留めておく。

主に2点。

1.情報の導線の設計/制御

日々色々な人や媒体に接する中で、我々は大量の情報を自分の中に取り込んでいく。そしてそれを元に何か意思決定をしたり行動したりする。そしてインターネットの発達によって、どのような種類の情報をどれだけ取得するかは、かなりの部分自分自身でコントロールする事が可能になっている。

ここで重要なのは、自分が得たい/得るべき情報を「どの媒体から」「いつ」「どれだけの量」「どのような形式/方法で」得るのかをあらかじめ明確にしておき、それに基づいて情報の導線を設計する事だ。ニュースは朝フィードで取得して通勤時に一括して読む、とか、夜寝る前には一時間本を読む、とか。インプットだけでなく、アウトプットについても同様で、週末にはブログなどでまとまった文を書く、とかを自分ルールとして決めておく。更に重要なのは、こうやって導線を決めることは、「選択したもの以外のものは捨てる」という意思決定であるということを認識する事だ。

こうしていれば、基本的にはただダラダラと”無駄な時間”を過ごす事は無くなる。テレビを見てぼーっとする時間を自分の導線の中に組み込むのは全然いいと思う。ただ、それを「ぼーっとする時間」として決めておくことだ。そして決めていた時間を超えたらテレビをそっと消す。

導線設計とその制御が、どういう基準によって為されるかは個々人の価値観や必要性に左右されるんだけど、それとともに「合目的性」を常に意識しながら考えなければならない。どういう目的があってそれぞれの導線が設計されているか。仕事上のスキル向上でも、リラックスでも、そこに確固たる目的が存在しない行為は”忙しい時に””効率を上げようとする”なら無用。

それぞれ合目的性を満たした情報のI/O(インプット/アウトプット)システムには、もうひとつ、流れのなめらかさも必要だ。全ての情報がスムーズに流れるために、できるかぎり項目間の連接関係を把握し、ボトルネックを取り除く努力をしなければならない。一例としては、自分はカレンダーとToDoリストはiPhone/iPadアプリのPocket Informantで一元化して、ちょっとしたメモとかもそこに全て書き込む事にしてる。ITツール使用の例はまた別の機会にするが。


2.見える化

上記のように明確な導線を持つ事に加えて、もうひとつ大事なことは、アウトプットを「見える化」する事だと思っている。

日々の情報のインプットに対して適切なアウトプットをしていく事によって生活が成り立つのだが、自分がどんなアウトプットをしているかを人は意外と把握できていないものだ。それが定量的に見えていなければ、そこからのフィードバックを次のI/Oとして効率的に流していくことはかなわない。

まずは、徹底的に自分の行動とその帰結を記録する事を勧める。何にどれだけ時間を使っているのか、どれだけの成果が出たのか、どう感じたのか。今までに知らなかった自分の実態を目の前にして、鮮やかな驚きが得られることだろう。これだけで、前述の導線設計/制御の精度が格段に上がる。なおかつ、モチベーションも勝手に上がっていく。見える化は、効果抜群の魔法の道具なのである。

体重を減らしたければ、体重の推移と摂取カロリーを逐一記録しているだけで、かなり痩せられる。レコーディング・ダイエットこそが、唯一継続的に効果の上がるダイエットであるというわけだ。



上記の2点さえきっちりと意識していればおのずと効率は上がってくるし、山のように積み上がっていた作業もどんどんと減っていく事だろう。


さて、自分もそろそろこの積み上がった本の山をなんとかしたいもんだね・・・
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躍進するEvernote

みんな大好きEvernoteのユーザー数が500万人を突破したらしい。

しかも、伸び率すら伸びてるという衝撃の事実。
すごい。


※TechCrunch記事http://bit.ly/9gOtzEより引用


この成長、GoogleのモバイルOS「Android」のシェア拡大にかなり引っ張られているだろうとは思うんだけど、それにしてもとっくに皆に浸透してる感を持っていた自分としては驚いた。

「全てを記憶する」なんてコンセプトは結構ありがちだし、類似サービスが沢山ある中、よくここまでダントツに駆け上がってこれたと思う。

自分としては、Evernote本が何冊も出版される中、実際その利用価値をそこまで見い出せずにいる。既存の色んなサービスを組み合わせれば、Evernoteを使う必要性はないとすら思っている。


でも、これ完全にキャズム越えてんなーってぐらいの勢いだから、それなりに皆に支持された結果なんだよね。

グローバルで成功しているサービスとしては500万は特別多いって訳じゃないし、まだ成長余地は十分あるから、これから行くとこまでいくんだろうかねー。
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iPhoneからの投稿テスト

fc2アプリを入れたので、記事投稿テスト。

画像なんかも。

京大の時計台。

そういや、iOS4.2へのアップデートが不具合のため延期になるとの噂。iPadにフォルダ機能を死ぬほど欲してただけに、この延期は辛い…どうなる事やら。
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我々が我々である理由 -サイズの生物学が見据える地平

サイエンス系では言わずと知れた名著「ゾウの時間 ネズミの時間 -サイズの生物学」を読んだ。

多種多様な生物たちが何故今のような大きさと構造を持つに至ったかを、大胆な仮説と数々の実験結果を交えて説明している。

「だから彼らはそのような大きさになったのである」

著者である本川達雄氏によって繰り返し述べられるこういう記述を見ていると、なんだか不思議な気持ちになる。

人智を超えたなにか大きな存在が、我々人間を含むあらゆる動植物を生物学的必然性に基づいて導いていっているかのような錯覚。進化という大きなうねりの中で、気の遠くなるほど長い年月をかけて変容し続ける生物のデザイン、そしてその適応過程は、なにか神秘性を帯びたものがある。

短い一生を生きるしかない我々人間は、その壮大さにただただ目を見張る事しかできない。



このように、マクロの生態学や生物系統樹によらず、生物の物理的デザインに注目した生物学が我々に与えてくれる啓示とは何だろう。

本書において、著者はこう言っている。

「ゾウの時間 ネズミの時間」あとがき

サイズを考えるということは、ヒトというものを相対化して眺める効果がある。私たちの常識の多くは、ヒトという動物のサイズがたまたまこんなサイズだったから、そうなっているのである。その常識をなんにでもあてはめて解釈してきたのが、今までの科学であり哲学であった。哲学は人間の頭の中だけを覗いているし、物理や化学は人間の目を通しての自然の解釈なのだから、人間を相対化する事はできない。生物学により、はじめてヒトという生き物を相対化して、ヒトの自然の中での位置を知ることができる。



そう、これは非常に重要な視点である。
人工知能の研究者達が誰よりも人間の思考プロセスを知っているように、自己自身を相対化できて初めて、ヒトは自己の深さを知るのである。


本書のこの箇所を読んでいて、あの「生物と無生物のあいだ」の中で著者である福岡氏が発した非常に印象的な問いを思い出した。

”我々人間は、何故今のような大きさでなければならなかったのか。”

彼が生命とは何かについて考え続けて達したこの問いに出会った時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。

分子生物学的な観点から、分子の揺らぎとヒトのサイズの必然性を結びつけた彼の論は、確かに本川氏の論旨とは切り口が異なる。しかし、彼ら2人が到達したこの問いは、我々が我々であることの「理由」に挑戦する非常に哲学的な問いである。


常識の壁にぶつかり、それを壊すことは難しい。我々人間は、自らの脳の中に絶対者の視点を持ち得ない。だからこそ、我々の常識の外側に広がる広大な思考空間は有意味であるし、生物学が人間を徹底的に相対化しようする学問であることの価値は大きい。


本川氏は、本書のあとがきにおいてこうも言う。

「都会人のやっていることは、はたしてヒト本来のサイズに見合ったものだろうか。」

ヒトのデザインがその生物学的必然性に強く呼応しているとしたら、我々は現在の過度に肥大した生き方そのものを、今一度見直す必要があるかもしれない。

Amazonリンク+参考記事:
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

書評:生物と無生物の間

人工知能の限界

知識の相対化と、知への再帰性
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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
プロフィール

yack

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