書評レビュー東大生ブログ 右往左往 2010年10月
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書評:逆算メモ術 ~結果を出している人の実践テクニック

久しぶりの書評。それも、酷評とは(笑) 




逆算メモ術 ~結果を出している人の実践テクニック~ (マイコミ新書)

編集 マイコミジャーナル編集部


本書は、仕事の達人達のメモ術を取り上げたマイコミジャーナル連載記事を単行本化したもので、各人が自らのメモ術を惜しげもなく公開している。タイトルに「逆算」とあるように、それぞれのメモ術に共通している要素を抜き出し、最終章でそれらを総括する構成となっている。

 思わず「なるほど!」と唸るような方法は幾つか見られ、小飼氏のメモ忘却術や手書きについての考察など、役に立つ部分もあった。しかし、読後の総評としての本書は、決して良書と言えるものではない。

 まず気になったのは、それぞれのメモ術の記述の薄さ。およそ200p(最終章除く)の中に65のメモ術が詰め込まれているので当然と言えば当然なのだが、その薄い記述は各人の深い洞察に触れるものでもなければすぐに実践に結びつけられるものでもないと感じた。
 また、図解やメールの書き方、問題解決の技法等を説いているものが多く、純粋なメモ術の本質に到達している記述が極めて少ないのも特徴的だった。そういう方面ではいくらでも優れた本があるので、わざわざ本書に詰め込む必要があったのか疑問が残る。

 メモという行為の方法論を求めていた自分にとってはかなり期待はずれだったとともに、上記のような浅い記述の寄せ集めから何が逆算できるのか、結局わからずじまいだった。

 メモ術に関する類書に万人に薦められる本は無いのが現状だと思うが、少なくとも本書は「買い」ではない。


元は著者の一人でもある小飼弾氏のブログ記事を見て購入したのだが、部分的にであれメモの本質に言及していたのは小飼氏ただ一人であった。しかし、本書のような内容の本でも買わせてしまう彼の筆致には、ただただ感服するばかりである。いや、皮肉じゃなく。
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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

「オー!マイキー」と不気味の谷現象

「オー!マイキー」を見ていて、ふと思った。

あれ?気持ち悪くないぞ、と。


オー!マイキー」とは、ご存じの通り、アテレコされた人形(マネキン)達によって繰り広げられるコメディドラマ(?)である。なかなかシュールな笑いを追求しているという事で人気があり、劇場版はベルリン映画祭に招待されたりもしたという。


我々は、このマネキンたちが人間のように喋ったり動いたりする奥に、無意識に人間存在を重ね合わせる。だから彼らの動作や会話を”本物”として認識するのだ。つまり、彼らが動き、喋り続ける間においては、我々にとって彼らは人間そのものであるという事だ。


今日のロボット工学者達が見据えている到達点の1つも、ここにある。

人間のように見えるロボット。
その出力値(音声・動作)において、限りなく人間と見なしうるようなロボット。
我々人間が、それらの劇中でのあれこれを自分たちの日常に重ね合わせ、笑ったり泣いたりする。そんなロボットを、研究者達は作ろうとしている。そして、その目標は比較的近いうちに十分に達成しうるものでもある。

そんな人間と見紛うばかりのロボットができたら、それはすなわち人間ではないのか、といったサイバネティクス論をここで振りかざすつもりは毛頭ない。それはまた別の機会に。


そこで本題に戻ると、先のオー!マイキーを見ていて「あれ?気持ち悪くないぞ」と違和感を感じたのは、ロボット工学の世界で有名な「不気味の谷現象」という言葉を思い出したからである。

不気味の谷現象 - Wikipedia

 不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう、英: The Uncanny Valley)とは、ロボットや他の非人間的対象に対する、人間の感情的反応に関するロボット工学上の概念である。・・・<中略>・・・

 人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。

このような、外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットによって引き起こされると予想される嫌悪感の差を不気味の谷と呼ぶ。人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感を持ちうることが不可欠だが、「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感を持てないことから名付けられた。



つまり、ロボットを人間に限りなく似せようとすると、その過程で外観・動作が奇妙で違和感満載になる点が存在するという事だ。


オー!マイキーの登場人物達のような人間との外観類似度に加え、完全に人間と同程度の会話機能を持つロボットを仮定すると、種々の資料より、これは不気味の谷に落ち込んでいても全くおかしくは無いのである。

自分が感じた違和感はそこにある。

彼らは人間に近いロボットであり、しかし全く違和感なく視聴者に人間を想起させる。


思うに、これには大きな理由がある。

それは、劇中の彼らがストーリーを持っている事だ。
彼らの持っている物語と、我々が持っている物語が有機的に融合し、時には共感を生む。我々人間は、多かれ少なかれ彼らと通じ合う中で、彼らの中に自分たちの類似性を見、彼らの中に人間を見ているのである。

時系列的に静的なロボットは、モノである。全くの無機物で構成された機械。
物語を持つ(ように見える)ロボットはそれとは異なる。彼らが物語とともに動き、喋れば、そこには大きな時間の流れが見て取れる。福岡伸一氏の言葉を借りれば、”分子の絶えざる流れが動的な平衡状態を一時的に保っているものにのみ存在する躍動感”である。

オー!マイキーの登場人物達が語る日常は、家族としての関係性をはじめとして、彼らが生きてきた歴史の表出そのものである。そこに「人間」性が宿っていると自分には感じられる。


「ロボットと物語」。
ロボット工学の分野でさえも同じ文脈で語られる事のないこの2つのキーワードが、近い未来のロボット達が不気味の谷を越える為のキーワードであると、ふとそう思った。

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いいメモ術を模索する

メモ術を確立しようと思い立った。

何があった訳でもないが、今後の必要に備えて。

思えば、これまで生きてきてメモを取った事はほとんどない。

講義のノートテイクは板書ありきだし、授業自体ほとんど真面目に聞いたことが無いので、人の話をそのまんまメモするという場面に出会う事は希少。特別書くのが早いわけではなく、たまーにあるメモ必須の場面では、いまいち有効なメモを取れていなかったような記憶がある。

それに加えて、字の汚さ。これが結構クリティカル。スピードを追求しようとすると、とたんに判別不可能になってしまう。


そんなこんなで、メモを取った事がほぼ無い自分が、どうやって効率的にメモを取っていけばいいのか。
これから色々と本を読みながら方法論を整理していくつもり。


そもそもメモとは、重要な情報を後に再現できるように、一時的に紙面にストックしておく行為に他ならない。

保存しておきたい元情報は、文字ベースである事もあれば、音声や映像など五感全てをフルに使って獲得したものだ。さらに言えば、その場の空気感や自分の思いつきといった、第六感にほど近いものもある。
つまり、これだけ多岐にわたる情報を自らの記憶に繋ぎとめておくために、文字情報(+図)に落とす事が、メモのメモとしての役割である、と言う事だ。
当然ながらこれは凄く難しい。


ごくごく一般的に、以下では他者の話の内容をメモする状況に話を限定しよう。

メモを取る目的は重要な情報を後に再現する事だったから、ここでの理想は、全ての文脈と空気感を全て記述したメモこそが最高のメモと言う事になる。
※メモの目的として、「得た情報から示唆を得る」というのもあるから、全てを記述するのは間違いと言う指摘もあるが、本エントリでは、メモの役割としての(記述)→(編纂)→(示唆)のうちの記述の部分のみを”メモと言う行為”として論じる。

しかし、相手が話している間に全ての言葉をメモする事が不可能という時間的制約があるから、これは夢物語である。というか、相手の話の全部が全部、メモするほど大事な部分ではないだろう。当然、重要と思う部分だけメモする事になる。


いや、本当にそれでいいんだろうか。

さて、ここでテクストとコンテクストという話をしておこう。
言葉と文脈、とでも訳そうか。

特定の言葉/文が価値を持つためには、文脈が必要である。

例えば、「犬」という言葉はそれ単独では価値を持たない。情報価がゼロの状態。

それが特定の単語群と結び付いて初めて、特定の状況を指示する。有価値の第一段階は、ひとまず「文」であると言えるだろう。

「あの犬がさっき走った」、もしくは、「犬 走った」というメモがあって初めて、メモとしての役割が果たせている。

大体の人は、文の単位でメモを取る。もしくは、文の代わりに単語、句をメモする事によって文を”目指す。”有価値の最小単位が文である以上、単語単位でメモを取っていても、脳内では文を想起している。

文も、文同士で有機的な繋がりを持っている。文がまとまって段落となり、その集合が文章になる。そのすべてが文と言う最小単位の意味連鎖の中で繋がりを持って存在している。他の全ての部分によってある文の意味は決まり、他から独立した情報価を持った文は存在しない。

つまり、文単位でピンポイントのメモを取らざるを得ない我々が失っている情報は限りなく大きく、単独で「重要な情報」と呼べる記述はあり得ない、という事だ。

原理的に、”メモするべき相対的に重要な言葉”なんてものは無い。どの言葉もメモするべきものであり、そうしなければ価値は無い。

単語ベースで想起できる記述なんてたかが知れてるし、人間は捉えきれない(個人が恣意的に重要ではないと判断した)細部は一瞬で忘れるものだ。

だから、「メモを取る」という行為は、原理的に不可能性に挑む行為であり、正解は存在しない。


じゃあどうするか。

それをこれから考える。
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手詰まり感

研究があまり進まない。

精度を犠牲にせずにモデルを構築するためのデータが散在しており、全体の整合性が取れない。
モデルの複雑性=精度 v.s. データの取得可能性=モデル構築可能性 が完全にトレードオフの状態。

どうすべきか・・・


しかし、研究をしてると、自分の適当さが浮き彫りになるな。
データがここまで多いと、一個一個ソースを記録しながら進める作業が億劫になるけど、それをしないでいると後の編集作業の効率にクリティカルに効いてくる。

作業工程全体の時間配分の中でどの部分で付加価値が生まれるかを初めに仮定しておかなければいけないな。

あと、ストーリー・テリングのスキルも必要かな。


うーん、難しい。
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知識の相対化と、知への再帰性

書物の通時的・共時的連関



最近、哲学書を紐解く事が多くなってきた。

本は興味の赴くままに読む事にしているので、ウェブ上や人づてなどで引っ掛かったトピックに関するものを散発的に買っている。

もちろん、哲学は専門外なので、選んだ本や著者についての背景情報は一般常識の範囲を出ない。大体の場合、ほとんど手探りの状態から読み始める事になるのだが、これが結構な困難を伴う。単語の意味がわからない、アプリオリとされている命題が掴めない、分断された文脈による全体感の欠如、などなど、ハードルはかなり高いと言っていい。

これは恐らく、哲学という分野自体が持つ特殊性(閉じた意味空間とでも言おうか)に依拠する部分が大きいと思うのだが、より一般的に、ある分野の初学者がぶち当たる壁の少なくない部分をも示している。

基本的に、ある分野の特定の本を読む上で最も効率が高いのは、その本が書かれた文脈をもとから知っていて、前提知識が十分にあり、その本自体に書かれている内容をも予想出来る:内容の仮説を持ってそれを検証しながら読む事ができる場合である。

哲学書はもとより、歴史書や科学書、加えて文学作品ですら、その内容は当の本が書かれた以前の分野全ての歴史(作品)に深く関わっている。そして、これらを読みこなすためには、その分野の通時的・共時的な構造をある程度把握している必要がある。

この事が、これらの分野において初学者がまず越えなければいけない壁であり、最も苦労する部分であると思う。


知識の相対化、あるいは数点突破法



では、これらの分野の初学者は、いかにして良質な知識を得、効果的に学ぶことができるのだろうか。分野における歴史を全て学び、用語集を端から端まで暗記する事が必要なのだろうか。


自分はそうは思わない。

例えば哲学の場合、志溢れる新参者全てが、等しくソクラテスから事を始める必要は全く無い。それは苦痛でしかないばかりか、時間的にも経済的にも無茶な作業だ。

そうではなく、自分が興味を持っている部分を数か所選び、そこを深掘るように関連書籍をどんどん読んでいく事を勧めたい。

確かに読み始めはあまり知識が頭に入ってこず、雲を掴む様な感覚に襲われる事が多いのだが、何冊か読み進めるにつれて、少しずつ自分の知識が相対化されて、自分がいる場所がおぼろげながら見えてくる。全体の中での位置づけはまだ分からないまでも、自分の周りがどんな構造になっていて、どういうルールや前提があるかが理解できるようになってくるのだ。語句の意味がわかり、本の外に流れる大きな文脈を追えるようになり、読み進めるのが楽しくなってくる。これは、初学者が最初に感じる不可視の感覚からは想像できないほど早くやってくる知の黎明である。

ポイントは2点あると考える。

まず1つ目は、深堀りして広げていく点を幾つか持つ事。もちろんこれも興味に導かれるままでいいが、あまりそれぞれの点が遠すぎると、それらが各々の広がりによって相互に繋がっていく時期が遅くなってしまう。なので、ある程度の近傍点を選ぶとより効率的に知識を得ることができる。

2つ目は、読む本の種類に関するもの。すなわち、その本自体が歴史を形作っていくようなもの(以後、原典と呼ぶ)だけでなく、俯瞰的な視点を持ったもの(以後、解説書と呼ぶ)も積極的に読む事が重要である。原典は、例えばニーチェの「道徳の系譜 (岩波文庫)」であり、その場合の解説書は永井均「これがニ-チェだ (講談社現代新書)」に当たる。
上記で述べた相対化の過程では、読み始めた地点を深く掘るとともにその視界の範囲を広げる必要があり、これは原典を読むだけではなかなか難しい。そこで、当の本についてだけではなく、著者の背景情報やそれが書かれた文脈にまでたいてい触れている解説書の類も同時に読む事で、素早く周辺の知識を獲得する事が可能となる。鳥瞰と虫瞰を繰り返す事によって、より深く、より広く知識を集めていく。
巷で跋扈する原典至上主義なんてクソ食らえだと、そういうわけである。


知は再帰する



このようにして知識の範囲を広げてゆき、ある程度広範囲でその分野が踏まえていた前提や歴史・文脈の流れが見えてくると、序盤に手探り状態で読んだ本が言わんとしていた所がだんだんと理解できるようになる。全く知識が無い所から読んだ内容が、より高度な知識を持った状態で脳内に還ってくるのだ。忘れているなら読み返せばいい。最初に読んだ時よりずっと、その本が”読める”ようになっているだろう。

そして、その時(再帰)になって初めて、読んだ本全ての知識は相対化され、1つの体系を為す。初学者の最初の読書は、読者自身が初めての本に還ったその時に完成を見るのだ。その際には、自分がその分野に1つの確固たる基盤を得たと言っていいだろう。自分の専門を持ち、それを深く理解する過程は、この円環を為すプロセスの無限の繰り返しではないだろうか。


結び - たのしいどくしょのために



まぁ、どんな専門家でも自分の担当する分野の全てを知っているわけではないので、こんなの当たり前だという話になるかもしれないが、本エントリで言いたかったのは、最初のハードルは案外早く越えられるよって事と、あくまで自分が楽しめるトピックから入る事でその分野を極める事は十分に可能であるという事。


知的好奇心の赴くままに、知の大海を漂う事がいかに楽しいか、これを忘れては元も子も無い。
結局は、本を読むという行為そのもの、それを通して世界とつながる関係性そのものが、知の体系なんじゃないかと、そう思ったりするのである。
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読む本のリスト

今読んでる/これから読む本のリストを書き綴る。

意図は不明。自分が読んでる本を開陳するなんて恥ずべき行為、だが。


読んでる本
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
へーゲル「精神現象学」
野家啓一「科学の解釈学」
中田元「フーコー入門」
小田亮「レヴィ=ストロース入門」
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」(再読)
スチュアート・カウフマン「自己組織化と進化の論理」
マルコム・E・ラインズ「物理と数学の不思議な関係」
村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短編」

今月中に読む本
D・カーネギー「カーネギー 心を動かす話し方」
アリストテレス「二コマコス倫理学」
ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」
グレアム・ファーメロ「量子の海、ディラックの深淵」
ダニエル・デネット「解明される宗教」
グールドの何か。


さて。

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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
プロフィール

本棚のアウトソーシングに成功しました。

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