書評レビュー東大生ブログ 右往左往 2010年07月
QLOOKアクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

一か月の使用を終えて - iPadさらっとレビュー

iPadを入手してから、はや一か月がたった。
周囲には都度、軽くレビューしていたが、ブログにも書いてみようかと。

購入したのは、16GのWi-Fiモデル。




基本性能と”重さ”



まず、その基本性能であるが、これはなかなか申し分ない。

起動は早く、操作は極めて直感的に行うことができる。
Wi-Fiに繋がっている状態では、接続速度も申し分なく、ほぼストレスフリーでネットサーフィンする事ができる。
米国で発売当初に指摘されていたWi-Fiの繋がりにくさ問題は、今の所ないようだ。

そして各方面で絶賛のバッテリー。確かに、これはすごい。
中身のほとんどがバッテリーと揶揄されるほどの「持ち」の良さ。特に充電器を持ち歩かなくても外出に耐えられる。

大きさはイメージしていたのとほぼ同じ大きさであり、公式の紹介動画はかなりよくできたものだったと感心した。ブラウジングも十分に、というかこれだけで事足りるほどに、画面の大きさには満足している。

そして気になる”重さ”。さすがにそこそこ重い。見た目の大きさから予想されるよりも上を行き、カバンに入れて持ち歩いていると結構重みを実感する。さすがに片手で振り回す事は出来ないようだ。両手で持ちながら寝っ転がって電子書籍を読むのも結構疲れる。(といっても、自分自身は日本人一般とは体とか手のサイズが違うので、結構ちょうど良くて満足してたりするんだが)

総合すると、ちょっと重いけどなかなかの性能だって事だね。


iPadは「飛び道具」である



先に断っておくと、この記事でiPadの細かい用途やよく使うアプリの紹介なんかする気は毛頭ない。あくまでも”本体”の”軽い”レビューだから。

でも、ひとつだけ言える事があるとすると、それはipadが紛れもなく「飛び道具」だってことだ。

外出時のドキュメント作成、ノート、手帳。

iPadは、積極的に外に持ち歩いて初めてその真価をいかんなく発揮する。現時点で既にEvernote×iPadのコンビは手放せない状態になっている。

この間も新幹線内で書き物をしていたが、かなりの文字数が全く問題なくすらすら書けた。外付けキーボードを買わずとも、十分に執筆に耐えうる。電源をつけて5秒で書き始められるiPadの起動の早さと相まって、ノートPCなら絶対に開けない状況でも難なく筆を走らせる事が出来るのは嬉しい限りだし、これがiPadから一番恩恵を受けている所だと思う。

前述の通り、両手で長時間持つのは結構きついけど、膝の上にカバン乗せて、その上に置けば普通にタイピング可能。

移動中にDropboxとかでPPTのプレゼン資料をチェックする事も簡単だし、pdfファイルをガンガン入れて持ち歩けるのは大助かり。うまく使えば本当に”仕事をするのにオフィスはいらない”状態になる。


そう、iPadは、持ち歩いてなんぼだった。


Wi-Fi?3G?



じゃあ、それを踏まえたうえで1つの極めて重要な問いに対して答えてみよう。

結局のところ、Wi-Fiを買えばいいの?それとも、3Gがいいの?


自分がなぜWi-Fiモデルの方を買ったかというと、もちろんコストの問題もあるが、一番の理由は”移動中にそこまで使うかね?”という思いがあったからであった。

前評判などを総合して、
・iPadは家の中でのライフスタイルにこそイノベーションを起こす。
・3GネットワークではiPadのような大きな通信量を快適な速度で処理する事が出来ず、動作が遅い。
の2点から、3Gの必要なしと判断した。


で、使用後にそれを振り返ると、
・iPadは家の外のライフスタイルにもイノベーションを起こす。
・3Gの遅さについては未検証ではあるが、Wi-Fiも弱い所では読みこめないアプリも多い。
となる。


そして、当初の予想とは異なる用途が中心となっている中で、先の問いに対する結論として、今の所はWi-Fiモデルでこれと言って不便はしていない。
ドキュメント編集が外での最大の関心ごとだから、別に通信出来なくても十分に役割を果たしている。

情報インプット系のアプリも、家を出る時にキャッシュしておけばいいだけだ。


なので、今後使用方法が劇的に変わったら3Gモデルが必要になるかもしれないが、現時点ではWi-Fiで非常に満足しているし、買い替える気も全くない。


こう断言したい。

iPadに3Gは必要ない。その理由は決してネガティブなものではなく、Wi-Fiモデルが十分に素晴らしいから、ということである。

スポンサーサイト

他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

「自分の言葉」を使うこと

自分の言葉で物事を語る事は、かなり難しい。

どこかで聞いたような知識をつなぎ合わせて、どこかで見たような言い回しを使って、我々は言葉を吐く。

自分の思考や言語が先人から影響を受けるのは必然であり、過去の偉人たちの業績に誠実な姿勢で向かえば向かうほど、それらは自分の脳の中深くに入り込む。


「守破離」という言葉がある。
その道の達人になるには、まず達人の型を守り、それを真似るようにする。
型が完璧に身に付いたら、その型を自ら破り、自分の”個性”とも言うべきものを付け足す。
最後に、元々の型から完全に離れ、自分独自の新たな型を完成させる。

自分はまだまだ守の段階。誰かの言葉を介さなければ、何も語れない状態。

その事に、途方もない無力感を覚える。自分が、創造者たりえないという事実を超えられない。
人の言葉で世界を語り、人の思考で真理を演繹する。もはやそれ以外の道は選べないという事実だけが、その耐え難い苦痛の中で自分を支えている気がする。諦観。そう、他人の袴でやるしかないのだ。


決して出られない殻の中で、それでももがき続けて苦しみぬいた後で、ほんのちょっと、1ミリぐらいの隙間から外の光が見えることがある。たまーにだけど、それでも、きまりきった型ではない「違和感」とも言うべきものが、固い殻を少しだけ破って外界に触れようとするのがわかる。

それは、まだ「自分の言葉」ではなく、型との差異としての「違和感」が認識できているに過ぎない。既存のモノとは違う微細な「何か」。
でも、そんな何かが生まれた瞬間が、たまらなく好きだ。たとえそれが何に使えるのか分からなくても、そもそも価値があるものなのか分からなくても、それは今までの内的世界には存在し得なかった新しい部分なのだ。自分の脳内に現れた小さな空間は、その占有体積を広げていく事ができるかもしれない。

一つだけ言えるのは、その新しい「何か」こそが、いずれ「個性」と呼ばれるものになるという事だ。
今はまだ、守。でも、新たな萌芽は、見え始めている。



ルソーの有名な言葉に、もうひとつ付け加えたい。

人は三度生まれる。一度は存在するために、二度目は生きるために、三度目は語るために

他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

日記

タスクが山のように残っている。

この暑いのに。

ちゃんと身辺整理しないといけない時期に来ているのは分かっているが、変わる事は難しい。人間は、変われない生き物だ。


全体を把握しようとすると根源的な問いばかり増え、ちっとも前に進まない。取り急ぎ考えるには、あまりにも重いテーマ。とりあえず、やるべき事を1つずつやっつけて行くしかないのかも。

とある本に書いてあった話で、アフリカのライオンは凄く賢いらしい。人間は全体を把握できるという特性があるおかげで様々な事ができるが、局所毎の判断においては、極限の環境で常に生きているライオンも、人間と同じぐらい良い判断ができる、と。



京都行ってる間、研究はどうやってやろうかな。
iPadのおかげで資料をごっそり印刷する必要が無くなったのは、ものすごい進歩。


さてと。
他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

「露出社会」を柔らかく受け止める

ここ最近、ツイッターに言いたい事をだいぶ吸い取られているけど、ブログの方に回帰していきたいと思った。

タイムライン上に「露出社会」という言葉が流れたのはもうずいぶん前の事になる。その言葉は、よく思い出すわけではないが忘れ去るわけでもなく、自分の頭の隅の日の当らない所にひっそりと居場所を見つけたらしい。

露出社会。
ネット上に自分をいかに露出するか。多すぎもせず、少なすぎもせず。
露出リテラシーを身につけ、露出を楽しむ社会が到来している。

確かそんな話だった。

前のエントリでも論じた実名/匿名の話は、ネット上で色々な活動をする際に避けては通れない。

その意思決定によって、ネットから得られるもの、失うものがかなりの部分決まってくる。
その判断は、よくよく考えて行われたものであるべきだと思う。その場の恐怖心や虚栄心によって、本質を見失ってはいないだろうか。

マーケティングを行うもよし、自分の内面を外化するもよし。

なんにしろ、ここでの「露出」が持つ意味は非常に深い。

それを理解し、体感する。
体感する事によってのみ、リテラシーが高められる。


もうそこに出現しつつある新たな社会。怪しげな雰囲気を漂わせるその言葉を恐れてはならない。
その一員になるのは、思いのほか楽しい事であろう。
他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

ソーシャルメディアは「社会」のメディアになれるか

「ソーシャルメディア」という言葉が一般に普及して久しい。既存の一方通行的なメディアと対置される新時代のメディア形態として次々とその担い手が出現している現在において、ソーシャルメディアという概念そのものの意義が問い直されることは少なくなった。

では、ソーシャルメディアはこれからの世界を形作る上で文句なしに重要な役割を演じるのだろうか。

本当に?

ソーシャルなメディアとは一体なんなのか



そもそも、ソーシャルメディアとは何であろうか。
それをはっきりさせなければ。


Wikipediaによると(新語ゆえにここ以外で定義がなされていない)、

ソーシャルメディア - Wikipedia

ソーシャルメディアは、誰もが参加できるスケーラブルな情報発信技術を用いて、社会的インタラクションを通じて広がっていくように設計されたメディアである。


とある。

社会的インタラクションって?
広がって行く・・・・何が?
とか、疑問はあるものの、まぁ言わんとする事はなんとなーくわかる。


続いて、こうある。

ソーシャルメディア <概要> - Wikipedia

ソーシャルメディアは、インターネットやウェブに基づく技術を用いて、 ブログやtwitterのつぶやきのような一方方向の独り言を多くの人々に伝えることによって、 多数の人々が参加する双方向的な会話へと作り替える。 ソーシャルメディアは知識や情報を大衆化し、大衆をコンテンツ消費者側からコンテンツ生産者の側に変える。



つまり、各個人が情報発信者となり、マスコミュニケーションによる知識の集積を行うもの、これが「ソーシャルメディア」と呼ばれるものだと、そういう事らしい。


では、これがなぜ、「ソーシャルメディア」と呼ばれるのだろうか。

ソーシャル(英:social) 
 社会的な、社交的な、の意。

メディア(英:media)
 媒体。手段。特に、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体

  出典:大辞泉


「ソーシャルメディア」=「社会的な媒体」=「社会に関係する/社会性がある媒体」。

その心は?

ソーシャルメディアは社会の縮図であり、且つ、社会性のある情報流通媒体である。
そんなところだろう。


ソーシャルメディアの社会性



ブログやTwitterが各個人の知識や情報を大衆化させ、相互間の交流を促す媒体である事は疑いようが無い。これら媒体は、既存の産業メディアが持ち得なかったネットワークを持ち、既存の情報消費者が決して触れることができなかったコンテンツへリーチする事を可能にした。その意味で、これは大きな変化であり、情報「革命」である。
その点に異論はないだろう。

では、ソーシャルメディアは、我々人間社会を代表するものとして、社会の情報流通を一手に担うメディアに成長しうるのだろうか。


いや、問いを変えよう。

ソーシャルメディアは、本当に我々の「社会」を代表しうるのか。


この問いに答えるのはいささか骨が折れるが、ゆっくりと演繹していく。


例えば、ソーシャルメディアの走りのようなサービスとして、巨大掲示板2chを挙げたい。

上で述べたソーシャルメディアの定義にほぼ合致している2ちゃんであるが、その評判は一般社会においては総じて悪い。罵詈雑言、荒らし、低レベルな発言。2chについて”大人たち”から聞こえてくるのは、こんな批評だけだ。お世辞にも、まともなメディアとして見られているとは言えない。

さて、2chはどこが悪かったのだろうか。

情報発信者が主に匿名である事?
そう。その通り。そのせいで、我々には2chが悪の権化のように映る。

しかし、ここでちょっと考える。

2chにおける情報発信者=コンテンツ生産者とは、誰だろう。
それぞれの発言は、もちろんそれを発信した各個人のものである。当たり前。
でも、それは物理的な話。

2chがソーシャルメディアだと定義した場合、どうだろう。
それが社会であるためには、その要素たる各個人が存在しなければならない。
匿名での情報発信者は、個人たりうるのだろうか。
答えは、おそらくNoだろう。
各個人が個人として定義されるのは、それらが「何であるか」に依存するのではなく、それらが「何を生産したか」に依存する。WEB上には「人間そのもの」という観念は無い。それぞれが生産したものによってのみ、個人は規定される。
つまり、2chは匿名であるがゆえにコンテンツ生産者が不在であり、それゆえに「社会」ではあり得ないのだ。

2ch内が罵詈雑言に溢れているのは、それが匿名によってなされるからだ。全員が実名であれば、こういう状況にはならない。その意味で、2chは”悪く”は無い。そうなるのが当たり前。

匿名での発言は、個人の内面に過ぎない。


いくら内面が悪人でも、全ての対外的な行為が良いものであれば、その人は社会的には善人である。行為が、生産物が個人を規定する。その個人の集合体が、「社会」なのだ。

だから、2ch内のコミュニケーションは実社会では起こり得ない、実社会を代表し得ない、という事だ。

つまり、行為を生まない匿名での情報発信によるコミュニケーションは、「社会」を形成しない。


この点で、ブログやTwitterでも全く同じことが言える。

それらが匿名によって為される以上、個人が不在であり、ゆえに社会を代表する媒体、社会的な媒体とは呼べないのだ。

現状では、まだこれらのサービスは匿名による利用がかなりの部分を占めている。この割合が下がっていかない限り、これらソーシャルメディアは「ソーシャル」なメディアにはなり得ない。良質なコミュニケーションによる情報の交換はなし得ない。


論点は、1つ。

匿名か、実名か。

ソーシャルメディアの旗手たちが本物のメディアになるためには、実名利用率を上げる方策を真剣に考えるのがいいだろう。


既存のマスメディアが押し付けるイデオロギーを振り切ることができる(今の所)唯一の媒体として、これらのサービスの今後の発展にものすごく期待している。



関連記事:
Twitterの生態系
他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

Groupon系サービスの乱立でWEB広告市場はどう変わるのか。

最近、Groupon系のサービスが日本でも盛り上がりを見せ始めてきた。

実感では、毎週一企業ずつ新たに参入しているぐらいのスピード感。供給はどんどん膨らんでいっている。


Grouponの仕組み



アメリカ発のGrouponは、WEB上で様々なクーポンの共同購入者を募り、一定人数に達したら購入が成立するというサービス。飲食店からエステ、映画のチケットまで幅広いクーポンが対象となっており、それらを平均して50%ほどの割引率で手にする事ができる。

WEB上の共同購入なのでリアルのように実際に仲間を連れてくる必要はなく、消費者にとってはただただ安くなるという夢のようなサービス。ツイッターなど情報発信のインフラが整ってきたことも含め、爆発的に広まったのは当然の話だ。

このサービスを用いることによるクーポン提供者側のメリットは、主に広告効果である。
中小規模の飲食店などにとっては、テレビでCMを打ったりWEB上に広告を出すほどの体力は当然ながら無い。無い上に、もの言わぬマスに向かって大金を投じて広告を打っても、実際の効果を計算できないという問題もある。

そこで、割引クーポンである。
Groupon系のサービスを使えば、その店は多くの消費者の目に触れ、そしてクーポンを買った100人なり200人なりは、実際に来店するのだ。このメリットは、デカい。事実、Groupon系サービス上で提供される割引クーポンのほとんどは、知名度の低い飲食店によるものだ。そして、全く聞いたことのないそれらの店のクーポンでも、すぐに完売になる。

実際に来店したうちの何人かは、食べログにレビューを書くだろう。来店したうちの何人かは、友達に話すだろう。そしてそのうちの何人かは、リピーターになるだろう。

4000円のコースを50%offで200枚提供するのであれば、40万円。中小事業者にとって、この金額を他のメディアを投じるよりはるかに大きな恩恵を、このサービスから受けることができる。


Grouponが生み出す新たな競争



こうして消費者と事業者のwin-winの関係を構築するGroupon系のサービスであるが、発祥の地アメリカでは既に同じようなサービスが大量にある。その他の国でも同様のサービスが続々と出てきており、中国では100程度のサービスが存在するという。

営業力さえあれば事業参入のハードルはそれほど高くない。
そして、日本ではGroupon系のサービスは6つ程度しかない割に消費者の関心はかなり高い状態なので、今の所は新しいクーポンを出せばすぐに完売するといった感じだ。まさに入れ食い状態。


上記のとおり、これらサービスは飲食店等が広告効果を狙って利用するものである。そのため、当然ながら広告市場を喰い荒らす。WEB広告と競合するのだ。

食べログ、ぐるなび、FooMoo。
これらが元来担ってきた飲食店向けの販促が、そのままそちらへ流れている。

これは、WEB広告市場の危機である。黒船襲来である。
そんな論調も出始めてきた。


恐らくは、このようなサービスの乱立はしばらく続くだろう。

では、それは既存のWEB広告市場にとって脅威でありうるのだろうか。


消費者はそこに何を見るのか



既存の飲食店向け広告は、飲食店が食べログなどに料金を支払い、サイト内広告や検索結果上位表示をするという仕組みになっている。

これらサービスが独占していた広告市場の一部を、今後Groupon系サービスが担っていく事は間違いない。

だが、どの程度?


食べログ、ぐるなびなどで飲食店の広告が消費者の目に触れるのは、主にその飲食店がある地域を消費者が検索した時だ。ユーザーは、ピンポイントでその地域の店を探している。その意味で、厳密にはそれはマス広告ではない。

それに対して、消費者はツイッターを通じてクーポンを購入するGroupon系サービスは、ある程度マスを対象にしたものだ。

ここにおいて、対象となるユーザーは全く異なるのではないだろうか。
特定地域でおいしい店で食べる時と、聞いたことが無い店で50%の値段で食べられる時、その金は同じ財布から出るのだろうか。

おそらく、そうではない。
日常的なものと、非日常的なもの。
その2つは競合するわけではない。


食べログに広告を出し、同時にGrouponを使うのもいいだろう。

GrouponがWEB広告に取ってかわる事はないだろう。


Grouponにクーポンを提供する飲食店が増加していくかどうかは、これらのクーポン購入者がどれほどの広告効果をもたらしてくれるかにかかっている。その点で、まだ多くの飲食店はその効果のほどを見極めている段階だろう。


加熱する共同購入サービス競争が落ち着いたころに、その真価がわかるだろう。
他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 

書評 - 知識人の裏切り

-どこまで続く、平成日本の漂流 (文庫)
西部 邁, 波頭 亮 著

マニアならずとも手に取らずにはいられない。まさかこの2人の共著とは。
20世紀を代表する全く異なる分野の”知識人”2人による対談集。

誰も語らなかった視点で社会の本質を突く、刺激に満ち満ちた内容。


続きを読む


他の東大生のブログは東大生の人気ブログ集 から

web拍手
本エントリーがほんの少しでもお役に立ったなら、クリックお願いします!↓
 
"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
プロフィール

本棚のアウトソーシングに成功しました。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
Lc.ツリータグリスト
検索フォーム
FC2カウンター
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。