書評レビュー東大生ブログ 右往左往 2010年05月
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Amazonのレビュアーランキングを劇的に上げる方法

Amazonのレビュアーランキングが一新されてから、早いもので一か月半が過ぎた。

自分はというと、ベスト500レビュアーに入ったり入らなかったりのギリギリのライン上をうろうろしている。
半年前に始めてから現在までに投稿したレビューは80件程度。
読んだ冊数からすると、2/3程度はAmazonなりブログなりでレビューしているという計算になる。


さて、この新レビュアーランキングであるが、少し気になることがある。

当時上げた記事で言ったように、レビュー件数や「参考になった票」の絶対数よりも、「参考になった率」が圧倒的に順位に効いている事で、Amazonにおけるレビューの環境が変わってしまうかもしれないという事だ。


なぜかというと、この新たな評価基準によって、自分のレビュアーランキングを劇的に上げる事が可能になったからだ。

そのやり方は簡単だ。
自分がこれまで投稿したレビューの中で、「参考になった票数/投票数」、つまり「参考になった率」の低いレビューを削除してしまえばいいのだ。これによって、全レビュー合計での「参考になった率」は相対的に上昇する。
気になって2つほどレビューを消して試したので、これでランキングが上がることは実証済みだ。

事実、新ランキング適用当初と比べてみると、現在のベスト10レビュアーの顔ぶれは全く違う。
上記の事実に気付いた人が少なからずいたという事だろう。


さて、このような動きが気になるのは、この新ランキングによってAmazon全体でのレビュー件数が増えないのではないか、という事があるからだ。特に、ランキング上位の人達の優良なレビューは少なくなっていくのではないか。


上位ランカーの人達は、「参考になった率」が元々90%に近い水準にある。
この人たちが新たなレビューを投稿しようとする時、そのレビューが9割以上の参考になった票を得ることができる可能性は、そんなに高くない。たとえ質が高いレビューでも、意見は割れるものである。
このような状況がある場合、この人たちは新たなレビューを精力的に投稿していこうと考えるだろうか。自分は、そうは思えない。

そんなに皆がみんなランキングを気にしているかどうかという話になるが、自分のランキングが下がる事が嬉しい人はいないだろう。だから、ランキングが上位になるに従って今後のレビュー投稿数が減っていくんじゃないか、そんな風に思うのである。
質の高いレビュアーの露出度の減少は、人類の損失である。


また、
・参考票率が低いレビューがどんどん削除される
・過激な(参考票率が低くなると予想される)レビューの投降が控えられる
事より、書籍を判断する上で重要な”質の高い”酷評レビューが少なくなってしまう事も考えられる。



もしかすると、ランキング算出の基準をここまで大幅に変えたことは、Amazon自身にあまり良くない影響をもたらすかもしれない。


関連記事:
Amazonのレビュアーランキングが新しくなった!

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20歳の時に知っておきたかったこと

-スタンフォード大学 集中講義
Tina Seeling 著  高遠裕子 訳

ここ数日、書こう書こうと思いながら書評を出来ずにいた。
もうすでに巷で話題となっているのだが、噂に違わぬ良書。

本書は、米スタンフォード大学のアントレプレナーシップに関する講義で教鞭をとる著者が、自分の息子に捧げる言葉という形で書かれたもの。

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医学の価値・法学の価値

「代理ミュンヒハウゼン症候群」

聞き慣れない言葉がテレビの画面上に踊る。

代理ミュンヒハウゼン症候群 点滴混入の母親に懲役10年
MBSニュース

また痛ましい事件が起こってしまった。日本はどうなってしまうんだろうねぇ。

そう評する事は、たやすい。


だが、懲役10年の実刑判決を支持した裁判員達にとっては、そう簡単な問題ではなかったようだ。

そのうちの一人が「理解しにくかった」と語るのは当然の反応だろうし、この事件を裁くことが非常に難しいものであったことに疑問の余地はない。


wikipedia - 代理ミュンヒハウゼン症候群

ミュンヒハウゼン症候群の一形態であって、傷害の対象が自分自身ではなく何か代理のものであるような精神疾患である。
多くの場合傷害対象は自らの子供であるため、児童虐待と同列に挙げられることも多い。しかしながら傷害行為自体は患者の目的ではなく、手段として傷害行為に及び自分に周囲の関心を引き寄せることで、自らの精神的満足を他者から得ようとしているものである。



悪質な殺人事件の裁判において、被告が精神疾患か否かは常に重要な争点となる。
もし、精神疾患が犯行時の被告の行動に大きな影響を及ぼしていた事が十分に認められれば、そうでない場合に比べて刑は軽くなる。

被告弁護側の精神科医の診断が正しいかどうかはひとまず置いといて、今回の実刑10年という判決は重いものであるというのが一般的な意見であるようだ。


「理解しにくかった」

そこには、法学が挑み続けている大いなる問いがあり、科学が挑まなければならない高い高い壁がある。


それが”症候群”である場合、それに起因する一連の行動は”生理的な”現象であることを意味する。
それが生理的な現象に起因する行動である場合、その帰結としての犯行が罰されるべきかどうかは、非常に難しい判断であろう。

それが罰されるべきかという倫理的な基準を決めるのは、言うまでもなく法学が担当しなければいけない難題だ。
しかし、その生理的な現象が”どれだけ”生理的かどうかは、医学が説明するより他にない。
これを説明するのは難しい。fMRIが脳の全貌を暴いたからといって、定量的な説明は出来ないのかもしれない。

が、それでもなお、法学と医学の接点を明確にすること無しに、このようなケースにおける判決を明確にすることはできない。そこに必要なのは言うまでもなくサイエンス的なアプローチであり、全ての現象を因果律が貫く世界からの声であるはずだ。

裁判員に理解しにくいなら、理解しやすい形で提示すればよい。医学が。


勘違いしてはいけない。
法学にファジィ理論を適用することは不可能なのだ。
医学には、(あるいは)それができる。

厳密性の担保としてのファジィさ(曖昧さ)を受け入れられるのは、科学の実子である医学だけなのだ。そこに確率論を持ち込むことすら、神に背く行為とはならないはずだ。

説明こそが、科学のレゾンデートルである。
規律こそが、法学の存在理由である。



科学にはもっと多くができるはず。
今回の裁判を見ていて、そう強く感じた。


関連記事:
医学の進む道
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忙しー

急に身辺がバタバタしてきた。

これは何の予兆だろうか。

忙しいのはいい事だし面白いイベントにも色々と噛ませてもらってるから、楽しいんだけどもね。


やっぱ、一度きりの人生、楽しさを追求して生きていくべきだよね!




ちょっと前までは、自分がこんな白々しいセリフを軽々と吐きだすとは心にも思っていなかった。
おぉ寒い寒い。


キルケゴールでも読んで、浮足立っている自分を諌めた方がいいんだろうか。


とりま、Java鋭意勉強中。。。
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ボストン美術館展で学んだ絵画の見方<初級編>

六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで現在開催中のボストン美術館展に、遅ればせながら行ってきた。

「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち」
2010年4月17日(土)~6月20日(日)

こういう本格的な美術展にはあまり行ったことがないし、絵画に興味を持っていたわけでもなかった。
その興味の無さたるや、イタリアでいくつか行ったはずの有名美術館がどこのものだったかも、何を見たかも1ミリも思いだせないほどだ。世界的な名画がいくつもあったはずだが、右から左へ抜けていったのだろうw

だが、最近になって、なんとなく思うようになった。
絵をちゃんと見てみようかな、と。

今度やるオルセー展が話題になったのに触発されたこともあり、行ってみた。

世界屈指のコレクションを持つボストン美術館から来た、40数人の画家の名画80点がずらりと並ぶ。
絵画ド初心者の自分でも知っているようなモネ、ルノワールなど印象派の画家の作品が多く、肖像画から風景画、宗教画まで幅広く展示してあった。


さて、ここで問題が発生する。
なにせ、全くの素人である。
これだけの名画が勢揃いしていても、どうやって見ればいいのかがわからない。
その良さを理解し、十分に咀嚼するための知識も方法論も持ち合わせていない。

「ふーん、なんかダイナミックだねー」
「こういうのは嫌いじゃないよ」

こんなのしか言えないんでは、ダメである。
数々の美術展を渡り歩いてきた百戦錬磨の観衆達になめられること請け合いだ。
「あの人かわいそう。家でテレビでも見てればいいのに。」と影で笑われても仕方が無いというものだ。


まぁどんな感じか全く分からないモノに対して予習しても仕方ないので、とりあえず行ってみて考えることにした。

美術展に入ってからは、それはもう五感を最大限に研ぎ澄まし、必要な情報をすべて吸収・再構成する事に努め、なんとかまともな見方ができるように考え続けた。

絵を見るよりもまず解説を熟読し、周囲の人の評論に耳を澄まし、使われている用語や批評の論理展開をつぶさに観察した。

絵の前で考え込むように立ちつくし、必要に応じて訳ありげに頷いてみた。


そんな涙ぐましい努力を続けた末、ある結論にたどり着いた。

絵を見るのは面白い。そして自分の観客レベルは0から35ぐらいまで上がった。


つまり、絵画を楽しむために必要な事のいくつかを学ぶことができたのだ。

ざっと箇条書きにすると、

知っておくべき知識
・画家の出生とその人生
・その時代を覆っていた基本概念(宗教含む)
労働の捉え方などは重要だったみたいだ。ミレーの「馬鈴薯植え」が書かれた背景にはアダム・スミスが強く関わっているように感じた。
・それが書かれた時期の絵画界のトレンド(流行り廃り)

見るべきポイント
・色遣い
・全体の構図
・明暗(光の使い方)
・筆遣い
・直線/曲線の使い方

etc...

手っ取り早くわかってる風の事を言おうと思ったら、このどれかについて言及すればよい。

「ここで白を強調しているあたり、中世のプロテスタンティズムの名残が見られるよね~」

ほら、さっきより大分ましになっただろう。
中身があるかどうかはもっと後の段階で考えればいい。


まぁ、平素から絵画を嗜む人から見れば、こんなの当たり前と思うだろうし、本質を捉えていないと思うかもしれない。

ただ、考えてみて欲しい。
右も左もわからない未知の世界で、「右」なるものと「左」なるものが存在するという事実を知る事がどれだけ大変な事かを。現時点で捉えているものは「右斜め上」かもしれない。ただ、それすらも未知の世界では重要な判断基準となるのだ。
ある”構造”を認識し、世界を相対化する事がまず大事ではないだろうか。
結局そういうことなんだよ。
結論の意味がよくわからん


最後に、心に残った作品を幾つか紹介したい。
図らずも、すべての作品がモネであった。

Valley of the Petite Creuse
Valley of the Petite Creuse
最も感銘を受けたもの。そんなに有名じゃないし、他人とはツボが異なると思うが。
画像だと見にくいけど、驚くほど細部まで完全に作り込まれている。
クリエイターとしての気迫、信念に圧倒される。


Fisherman's Cottage on the Cliffs at Varengeville
Fisherman's Cottage on the Cliffs at Varengeville


Antibes, Afternoon Effect
Antibes, Afternoon Effect


オルセー美術館展にも必ず行く事を心に決めた。



実際、絵を見たいけど見方がわからないって人はかなり多くいるんじゃないだろうか。
体系的な方法論があるとなしとでは全く面白さが違うと思うんだけど、芸術の分野ってあんまりそういうのないよね。そんな事を言うのは野暮って感じなんだろうか。言語化できないとでも思っているのだろうか。

「サルでもわかる絵画の見方入門」なんて本があったら絶対に買うと思う。

本書の出版を強く望む。

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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

バルサ優勝!!

よくやった。
よく勝ち続けた。
感無量。



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そろそろ手に職をつけることにした。

どんな武器を携えて社会の荒波をくぐり抜け、価値を創造していくか。

非常に難しい問題だ。

最近ぼんやりと自分にとっての答えが見えてきた気がする。


新たなものを生み出していくこと。
日常生活における皆のアンメットニーズを掘り起こして、それを充足する財・サービスを作り上げる。

そんなものにワクワクするのかもしれない。


そしてやっぱり、これからの世界を動かしていくのは情報技術の力であることは間違いない。

IT勃興期の今、ITサービス展開のコストは劇的に低く、新しいものを作り出すというプロセスに一昔前の重々しさはない。週末起業という言葉も出てくるように、製品のベータ版を数日で作ってしまい、出来るだけ早くローンチし、消費者の反応を見て適宜修正していく。

あとは脳みそをガリガリ働かせるだけだ。


いや、そうじゃない。
やっぱり自らコードが書けなければお話しにならない。
人に任せるなんぞ、逆に時間がかかるではないか。
そうだ、Javaをやろう。マクロだけでは何もできない。

どうせ近いうちに必要になる。




というわけで、そろそろ手に職をつけて、溜めに溜めてカビが生えてきたアイディアに、新たな息吹を与えようかという話だ。

ちょっと本気で頑張ろうかと思う。
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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
プロフィール

yack

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