書評レビュー東大生ブログ 右往左往 2010年04月
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iPhoneの電子書籍はやっぱり読みづらい

今はもう日本でも使えるのかもしれないが、(やや裏道を通って)iPhoneに米国Amazon経由でKindleを入れてワクテカしてたのが半年ほど前。

その間も、色んな出版社が色んな電子書籍リーダーのアプリを出し、色んな本が出回ってきた。

だが、洋書以外にiPhoneで本格的に本を読んだことは未だかつてなかった。

実際、「学問のすすめ」を流したぐらいw


先日、「iPhoneとツイッターは、なぜ成功したのか?」という本が発売された。

そしてなんと、電子書籍版は一定期間無料なのだ。
あの「FREE」に続く衝撃(でもないか)の無料版公開という事で、FREEの時に無料期間中に取り忘れた悔しさもあって、早速iPhoneに落とした。

まぁ、タイトル自体やテーマからグッと来るものはないし、各所で言いつくされたテーマなので流して読もうと思っていた。

ただ、これが結構時間がかかる。

和書における初めての本格的なiPhone読書体験は、心地いいものとはならなかった。

やっぱり、画面が小さすぎる。
必然的に、1ページに表示される情報量も少なくなる。
一覧性の絶望的な欠落によって、どこを濃く読み、どこを薄く読むかの判断が細切れになる。
ザッピングしていると、3~4秒間隔でページを繰らなければならず、指の動きも気になってくる。


これは、、、、めんどくさい。

文字を小さくすると今度は小さすぎて読むのに支障がでるし、やはり画面の小ささは思った以上にクリティカルな欠点だったという印象。


どこでも読めるのはいいが、それは本でも同じかと。
しおりがいくつもはさめるわけじゃないし、線も引けない。
あれなら、まだまだ文庫などの紙媒体が圧勝といった感じ。


やはり、電子書籍リーダーの最適な画面サイズは、iPhoneより2回り大きいぐらいだろう。

iPadの大きさと持ち運びやすさをチェックする必要はあるが、恐らくは大きすぎる。

電子書籍リーダーはKindleの1点買いが正しいような気がしてきた。
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バルセロナのCL準決勝第2戦の敗因について考えた

正確には、「なぜ2点取ることができなかったか」


・イニエスタの不在
・第一戦の結果が響き過ぎた
・早い段階でインテルが守りを固めた
・最後のあれって誤審じゃない?


などなど、思う所はたくさんある。

ホームの聖地カンプ・ノウ。
”ほぼ”フルメンバー。
そして、圧倒的なボールポゼッション。
すべての条件が、バルサの大差での勝利を暗示していたはずだった。

なのに、なぜ・・・


まず、認めよう。

イブラはまったく機能していなかった。
いつものことだが、チャンスを得点につなげるだけの丁寧さを備えていなかった。


あえて第2戦だけに目を向けるなら、
インテルが10人になることは確かに想定外だったし、そのせいで、元々固く守るつもりだったインテルが完全に自陣に閉じこもってしまった影響は大きい。

サムエル、ルシオは完璧だった。それは確かに言える。
シャビの決定的なパス -他のチームのDFであれば完全に通っているはずの- は彼らの素晴らしい反応で何度も防がれた。

ただ、この試合の結果を左右したのは、やはり個の力を超えた部分であったと思う。


ハーフタイムにグアルディオラがやるべきだったのは、前半とは全く違うアプローチを選手に試させることだったはずだ。しかし、そうはならなかった。

バルサの攻撃陣はただただ相手DFの手前でボールを回し、突っ込み、跳ね返され、あわててロングシュートを打った。


この試合のようにがっちりと守られている場合には、相手選手を自陣から引っ張り出すために少々のカウンターをも良しとした上で、相手のDFライン付近にもっときわどいパスをどんどん放り込んでいくべきだった。相手のペナルティエリア付近で、もっと勝負するべきだった。

シャビは横に回し、ケイタは後ろに回した。
ペドロは後ろに切り返し、メッシも横に切り返した。

これでは崩せない。

ピケのゴールシーンのような攻める繋ぎ方をもっと増やしていれば、2点はたやすく取れただろう。


サッカーに”もしも”はないし、今更どうしようもない事ではある。
でも、こう思わずにはいられない。

イニエスタさえいてくれたら
あの天才がDFラインに鋭く切り込んでくれていたら
結果は大きく変わっていただろう



結局、無策のグアルディオラが、アクシデントにも冷静に対応したモウリーニョに完敗した。


リーガではほぼあり得ないような守りのチームを相手にどう戦うか。
その状況下での有効な戦い方のパターン、経験値を積み上げる事。
バルサが再びヨーロッパ王者に輝くための課題はそこにある。
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バルサ負けたー・・


モウリーニョのインテルは強かった。
あんなインテルは今まで見たことない。

完敗。




あーーー


リーガ勝てるかな。。。

今年は無冠かも
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聖地巡礼 - 書評「方法序説」

デカルト 著 谷川多佳子 訳
岩波文庫

本書は、デカルトが41歳の時に初めて公刊した著作の序文である。
著作全体の正式なタイトルは「理性を正しき導き、学問において真理を探求するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」であり、3編の論文集となっている。

本書「方法序説」を含むデカルトの一連の著書は、それが書かれてから現在に至るまでの長きにわたって、哲学・科学の発展に大きな影響を与えてきた。
理性をいかに導くか、真実を求めてどのように思索するか、本書には彼の試みの系譜が書かれている。

我思う、ゆえに我あり

おそらく哲学史上もっとも有名な一節であるこの言葉は、彼の至った悟りであり、近代哲学の出発点でもあった。


この言葉だけ知っているという人も多いのではないかと思うが、その思う我が存在する事を起点としてどういう風に論理展開がなされているかを知る人となると、その数はぐっと少なくなると思う。

彼はその主張の中継点をキリスト教的観念論に求めた。
事物の本質の疑いえない存在。完全者としての神の助力。

もちろん、現代に生きる我々からすれば、そのスタンスを一笑に付す事はたやすい。
そして、現代の科学についての常識を多少なりとも持っていれば、その主張を冷静な目で見てしまう事は避けがたいことであろう。

ただ、曖昧で謎めいたものとなり下がっていた哲学を、幾何学を用いてゼロから築き直そうとしたその信念と堅牢な論理展開は、お見事という他に適切な言葉が見つからないほど”完成”されているのだ。

500年も前に出された哲学書をレビューするのは難しい。
専門家ではなく、かつ現代の色々な知識にまみれた自分では、とても的を射た批評はできないと思う。
なので、具体的な内容にはあえてほとんど触れていない。実際に手にとって確かめてみると言い。

ただ、本書がこれほどまで長きにわたって参照される理由は理解できた。
その思考の圧力に圧倒され、後ずさる訳ではない。そういう類の書ではない。
それは、完成された芸術を見るような、静かな感心なのだ。


彼が現代にいたなら、今の学問のあり方を見て何を思うのだろうか。


方法序説 (岩波文庫)

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備忘メモ:思考を逆に振る

思考を逆に振る、の派生パターン


時間軸について逆に振る
新⇔既

ex)
【既存商品A】⇔【新商品B】

Bに対するAの優位性
→Bだけしかない世界に、Aが新たに発売されると、どう映るか/どう感じるか

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「一村一品」 - 地域の想いを形に

遅ればせながら1つ紹介。

環境省と都道府県地球温暖化防止活動推進センターが主催する、ストップ温暖化「一村一品」大作戦について。


これは、地域の環境活動への取り組みを都道府県単位で取りまとめ、優れた取り組みに賞を与える事を通して、地域の温暖化対策を推進しようという試みだ。

これまで3年間行われているのだが、ここまでの大会では2年連続で京都が最優秀賞を受賞し、今年は鳥取が最優秀に輝いている。

だが、最優秀の都道府県に限らず、全国上位の都道府県の「一品」はさすがにどれもユニークで力強い。


1つだけ共通していることは、どの県もその地域の文化・伝統に基づいた一品に誇りを持っている。
自分たちが行っている温暖化対策に強烈に夢を乗せている。



環境問題への対応で重要なのは、経済性など指標に落とし込めるものだけではない。

その取り組みを他の県でやったらもっと高い経済性が期待できる。
もっといい素材が手に入る。
でも、それはきっと成功しない。

その地域が持つ強い”想い”、これがあって初めて、その取り組みで低炭素な地域社会が実現できる。
利益ベースでは捉えられない所での地域住民のたゆまぬ努力こそが、真に実を結ぶ環境活動を育むのだ。



環境への取り組みは、画一的な対策を取る事だけじゃ不十分であり、そこに住む人たちの想いが形になった行動が優れた成果を生み出すのだ。
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科学と哲学と人生と

当ブログの主要なテーマになってきた”科学と哲学の関係性”であるが、最近、これについての何らかの答え(自分なりの回答)を出したいと思うようになってきた。

その道はまだまだ遠いが、色んな思想に触れて思索にふける中で、それ自体は別段難しい事ではないんじゃないかと感じるようになった。
つまり、その答えは不可知ではない、と。

科学と哲学は、これまでの長い歴史の中でその境界線上で激しい戦いと調停を繰り返してきた。
その境界線の混沌たるやまさにフラクタル(自己相似)的であり、一次元と二次元の狭間に迷い込んでその状況をうまく認識できないような状況だった。

が、そこに新たに1つの視点を加えると、その混沌はいささかすっきりとし、何をどこまで切り分ければいいかがおぼろげながら分かるように思う。

「いかに生きればよいか」


いかに生きればいいかなんて話は哲学の守備範囲だろう、という声が至る所から聞こえてきそうだが、自分にはそれがそうではないように思える。限りなくソフトであり限りなくハードである(学問としての)哲学は、我々の人生にとっての本当の指針を与えてくれているのだろうか。

存在者として、生きる主体として、そして何にもまして”知性から見放されたもの”としての我々人間がどう生きるかを扱うのは、哲学ではありえない。

”学問に過ぎる”哲学とは全く別次元の「生きるための実学」としての新たな思想体系を、我々のポートフォリオに加える事が必要とされているんじゃないだろうか。より緩く、より直感に近いところの知識体系が、哲学と科学の役割を明確化するんじゃないだろうか。

もっともそんな類のものは、暗黙知として、集合知として既に我々の頭の中で一定の地位を占めているだろう。
そう。だけど、体系的なものはまだない。

「いかに生きるか」という問いをよりファジーで実利的に捉え、そこから全てを俯瞰し直してみると、「科学」は完全な行動のツールに、そして「哲学」は思考のツールとしてプロットする事ができると思う。


知性に劣る我々がその短い人生で出来ることといえば、ある恣意的な意志決定モデルを選択し、その変数をいじくって自分に最適化させる事ぐらいなんじゃないか。
例えば、カール・ポパーが言うところの「方法論的本質主義」 -全ての物事にはそれを定義する「本質」が存在し、現実世界はその本質に従って動いている、という考え方 - をあえて全面的に認める事、それに基づいて科学と哲学を俯瞰するとすっきりするよね、って事。

そんな”逃げ”の姿勢によって、深い安心とともにシンプルに生きる事ができる人はいっぱいいるんじゃないだろうか。

ちょっと前のエントリで述べた、科学を受動的に理解した後の、能動的な生き方の指針としての哲学、という図式は、現代でも適用する事ができるはず。
科学の完成を待たずして、哲学の完成を待たずして、受動的且つ能動的な態度を取るための溶媒としての「生き方の実学」。

科学を全面的に受け入れる。端数は切り捨て。
哲学も選択的に受け入れる。
論理的整合性も、ソフトさに対する不安も、一旦忘れよう。
間違っててもしょうがない。どうせ自分じゃ気付かないんだし、多少の不利益は構わない。
その考えの間違いも、危険性も認めたうえで。

そういう提案も、いいんじゃないだろうか。

こういう態度が諸学問の発展を阻害するかといえば、それはないと思うし。
好きな人が好きなだけやるだろう。


なんてったって、我々は自分たちが何も知らないという事をよく理解してるし、肝に銘じながら生きてるじゃないか。
その証拠に、アリストテレスが2000年以上も前に言った言葉を、我々はまだ覚えてる。


いずれにしろ、物質的充足のなかで生きる意味を見失った現代人には、限りなく先鋭的に進化を続ける「科学」「哲学」をやんわりと結び付ける”何か”が必要であろう。


※上記は、全面的に自分が取っている立場かといえば、決してそうではない。そういうのもあるよねって話。
あと、この記事が超低レベルで且つ昔に終わった議論をなぞっているだけに見える事はわかってる。抽象的すぎることも。具体的な所はまだまだ言語化しきれてない・・
でも、このテーマについての思索はまだまだ始まったばっかりだし、これからも考え続けることになるだろう。

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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
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