書評レビュー東大生ブログ 右往左往 2010年02月
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更新停滞中~

京都から就活中の友達が数人泊まりに来てるんで、なかなかドタバタしてる。。

連日飲み明かしているんで、しばらく更新できないかも。



楽しいけど、全てのタスクが滞る、、、

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ゴールは偶然の産物ではない

- FCバルセロナ流 世界最強マネジメント

Ferran Soriano 著

ソシオとしても、ビジネスに携わる者としても、スポーツに関する考え得る限り最高の一冊。

バルサファンの自分は文句なしに楽しめたが、そうでなくとも、ビジネスに携わるすべての人にとって有用な、近年サッカービジネスについて書かれた本の中では出色の出来。

経営コンサルタントとしての経歴を持つ著者によって、サッカービジネスが”しっかりと”記述されており、
普段あまり考える事のない、クラブチームの運営について、多くの学びが得られた。

前半は、サッカークラブというビジネスモデルの概要を多くのチャートも駆使して説明している。
この部分だけでも、多くの知見が得られる。

チームのバリューチェーン(価値連鎖)は、以下の通りらしい。

選手 → 試合(リーグ、FIFA等の運営団体)

     → クラブ → スポンサー → テレビ・メディア

なるほど。

直感的にはあんまり納得できなかったけど、説明を見たら腹に落ちた。


後半は、チームが勝つために選手に必要とされるものはなにか、イノベーションとはなにか、など各論についての説明をしている。
この部分は、それぞれの項目の関連性が不明で、ややまとまりに欠けるように見えた。


しかし、本書を読む事で受けられる恩恵は大きい。
監督としてのチームマネジメント、経営者としてのクラブのマネジメント。
これらの考え方を学ぶ事によって、試合を見る時の視点が1つどころか2つも3つも加わり、よりサッカーを純粋に楽しめるのではないだろうか。

2003年から行われたクラブの大改革の実態や、バルサの選手の移籍に関する裏話など、読み物としてもなかなかだった。

FCバルセロナがどのようにして世界最強クラブの座に鎮座したのか、その真髄が見える一冊。




そして次の週末もまた、イムノの大合唱が聖地カンプ・ノウに響き渡る、、、、
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95点のプレゼン資料を99点の完成度にするために

ゼミでの他人の発表や、企業の人のプレゼン(説明会とか)を見ていてよく思う事がある。


成果物に対する執着が、甘い。

そのスライドに書いてあるメッセージが「てにをは」レベルまで考えつくされているかどうかや、そのレイアウトが試行錯誤の結果かどうかは見たらすぐわかるんだけど、そういう極上のクオリティを目指しているようなプレゼンに出会う事は多くない。


残念なのは、コンテンツはいいのに最後の少しの努力を怠ったためにどうも締りが無い資料になってしまっているものが、あまりに多い事だ。
もう8割がた出来てるんだからあとちょっとじゃん!と思うのだが、どうもあんまりこういった感覚は浸透していないらしい。

ここで、最近よく見かける資料の不備の例を示す事で、少しでもそういう発表が完成に近づく事を願ってみたりする。



あと一歩!これさえできれば完璧??
よくある詰め不足の例

1.助詞の使い間違い
 これは普通によくある。
 詰め段階と言うよりはそもそもの言語運用能力だが、第三者によるダブルチェックなどで直前に防げるかと。

2.句読点の位置の間違い
 企業のプレスリリースとかすごく頭いい人の発表とかでも、意外と出来ていない事が多い。多すぎたり少なすぎたり。
 その点では、小説家はさすが。

3.チャートの軸ラベルの字が小さい
 本文の字の大きさは良かっただけに、残念さもひとしお。
 配布資料だけじゃなくて、発表のスライドの時点でほぼ読めない事も多い。

(※パワポ本文の字が全体的に小さすぎるのはダメなプレゼン例の圧倒的な第一位だが、これはそもそも根本の考え方がなっていないという話なので、詰め不足には入らない。)

4.色使いが悪い
 チャートとか、装飾とか。
 ちょっと!目がチカチカするじゃない!あとなんか全体的にグロい感じなのはなんで?!とかね。
 まぁ、もともとセンスない人って、いるよね。。

5.配布資料がアニメーションでぐちゃぐちゃ
 これは学生に多い。
 何のための配布資料だよ!!!って感じだよね。スライド分けるか、そもそも下とかぶるようなアニメーションの使用は避けるべき。
 自分の場合は、アニメーション自体多用されるとむかつく。一覧性を重視しろよ!っていう。

6.白黒印刷での見え方を考慮してない
 発表用のパワポは一般的にカラーだけど、配布資料で白黒にしたら全然読めないとかはよくある話。
 カラーで刷るか、さもなくば配布資料用に調整すべき。



こう見ると、これらすべての項目において言えるのが、聞き手/読み手に対する配慮の不在。
それだけ。

どう書けばわかりやすいのか、どう見せれば一瞬で内容を捉えられるのか、それを考え続けていれば、上のような事にはならないはず。
この姿勢は、どんな世界でも必要な事だと思う。


就活の企業説明会とかで、「我々は成果物にこだわります」とか「新卒社員に期待しています」とか言ってても、プレゼンがこれじゃあ何の説得力も無いよね。。。

コンサルでもどの業界でも出来ている企業は一貫して出来てるし、出来てないとこは発表以外でも脇の甘さが目立ったりする。

たとえ新卒採用が最優先の仕事じゃないにしても、そんな部分ですら圧倒的なクオリティの高さを見せつけてる会社に行きたいと思うよね、こっちも。

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トヨタはどうなるんだろう

今日アメリカの議会公聴会で、トヨタ自動車社長の豊田氏が正式に謝罪した。


”世界のトヨタ”は、今回の問題で一気に信用を失ったように見える。

これからトヨタは復権する事ができるのだろうか。


個人的には、新車の発売サイクルが短くなってきた中で、開発投資の方に資金を多く回していたので、安全管理に必要な資金も人材も十分では無くなっていたんじゃないかっていう仮説を持っている。


おそらくは、日本のトヨタではあり続けるのだろうが、世界首位を奪取したばかりだっただけに、少し残念でもある。


安全意識を高めるように喝を入れるっていうだけじゃ、問題の本質に辿りつけないのは明らか。

まず何から手をつけるのか、それが大事。
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ものすごく結婚したくなる動画

久々に良いものを見た。

結婚式でバージンロードを歩く新婦の動画。

感動。



ニコニコで曲が違うVer.の方を先に見つけたんだけど、本家の方が断然よかったのでそっちを転載。


こんな結婚式がしたいなー、と思ってしまう。
恥ずかしさっていう高いハードルを越えなきゃいけないけどw


友達に頼んだらやってくれるのかな
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修士課程で良い研究をする方法

あるいは、”修士課程の学生が社会的に付加価値の高い研究をすることが難しいのはなぜか”

これまで、修士の研究/論文を数多く見てきた。
それと同時に、各学問分野の最前線で活躍しているプロの研究者の論文も、それに劣らず見てきた。

そして思う。

この両者の間には、根本的に異質の、絶対に埋まらない溝が横たわっているんじゃないか。

確かに、プロとアマには歴然とした経験と能力の差があるのは当たり前だ。
そういって諦めるのは、実にたやすい。

ただ、そこにある大きな差は、そういった特定分野の経験や頭のキレなんかだけでは説明が出来ないような”何か”を含んでいるような気がしてならないのだ。


その”違和感”が何か
それを理解する事で、自身修論を控えている立場としても、少しはましな成果物が出せるんじゃないだろうか。

考えてみた。

いい研究の条件


まず、(科学的な)研究をするときに満たすべき要素は何か。
(以下、前提として、科学の諸分野における研究を対象とする)

良い研究が満たしているべき要素は、大まかに言うと、

・新規性
  その成果が、まだ発表されておらず、且つ斬新な切り口/アプローチである事
・重要性
  当該分野において有用な研究である事。また、社会や科学の発展に寄与するもので
  ある事。
・客観性
  妥当な推論に基づいた結論である事。矛盾が無く、適切な根拠が示されている事。
・再現性
  または、反証可能性がある事。誰でもその結果を再現できるよう、諸条件を明らかに
  する事。
の4つだ。

初めの2つはテーマの設定に関する部分で、ここで研究の良し悪しがほとんど決まると言っていいだろう。
圧倒的に重要な要素。

残りの2つは、その研究が”科学”として体裁を成していかという部分。
プロフェッショナルであれば、ベースとして当然ある程度のレベルは満たしていなければならない。
ただ、この部分がかなりおろそかになっている研究成果も多いのは事実。
当然、そういうものは超メジャーな学術誌ではアクセプトされづらい。


これらがハイレベルで満たされていると、”Excellent”、”Outstanding”と評価される研究であるといえる。


修士課程の学生が満たせていない部分



上記の要素の中で、修士の学生の多くができていない部分はどこだろうか。

言ってしまえば、
全て、それもまんべんなく
ということになるんだが、それでもやはり一定の偏りはある。

下の2つ、研究としての体裁の部分は、修士課程における研究でもある程度はかっちりとまとめる事が出来るように思う。
教員のツッコミの力を借りて、時間をかければそこそこ整ったモノはできる。

そして、できていないのが上の2つ。
どんな課題を設定し、どんなストーリーを紡ぎ出すか。


つまり、斬新で且つ重要な課題を自ら設定する事が出来ていないのだ。



ではなぜ、これらを満たす事が出来ないのか。

修士の学生に圧倒的に欠けているものは何か。

答え:

科学哲学に関する知見、もしくは対象分野の思想的基盤


修論を書く学生に欠けているもの、思考能力、経験、対象分野に関する知識など様々あるが、自分が思う最も大きなモノがこれ。


そもそも、その分野において意味のある適切なテーマについて課題を設定し、そのストーリーラインを上手に構築することが出来てないのだ。
これについての知見と熟考がまったく無いから。
それ以前に、それらを省みるという発想自体、学生には希薄なように思える。



統覚への遡及、もしくは事物の本質への旅



その研究分野において、どんなテーマが”論点”となりうるのか。

何が解くべき問題であり、”解いたらいい”問題なのか。


ある研究テーマにはその研究をする目的が存在するが、その目的はより上位の目的によって設定されている。
そしてその上位の目的も、それよりも更に高次の研究目的によって規定される。

このような根源的な目的は「ソフト」なものであり、科学的で客観的な判断が下せない領域に存在する。
最終的には研究者の価値観などの主観的な基準に基づいて定義しなければいけないものだ。

一見ハードだと思われがちな科学のこのソフトな側面について、理解している学生は少ない。

科学哲学についての知見を得る事や対象分野の思想基盤を知る事は、より上位の目的への遡及の終着点付近にある目的が”どういうものであるべきか”を知る事の助けになる。
それを知らずして、過去の巨人たちの苦闘の歴史を顧みずして、主観的な判断は到底下せない。

研究を始めたばかりのヒヨッ子には、自分の全くの主観だけで妥当な判断を下す事は困難極まりない、だから過去から学ぼう、というわけである。

当該分野に脈々と受け継がれてきた思想、議論の的となった哲学的問題。
これらを理解しないまま良い問題を選びとることは、そもそも難しい。



どうすれば、良い研究が出来るか



では、これを踏まえたうえで、どうすれば修士課程の学生が質の高い研究を行う事が出来るのか。

あまり触れなかったが、論理的思考力、発想力を駆使して問題を解決する能力が重要だというのは言うまでもない。
ただ、それに関しては多くの参考になる読み物があるだろうし、それらに席を譲ろうと思う。


本エントリーでは、問題の設定の部分がより重要であり、そして主観的判断のレベルまでさかのぼった問題設定が見過ごされてるという事を述べてきた。

このような適切な問題設定をする事は可能なのだろうか。

自分の携わる分野に関する哲学的な基盤がまだまだ未発達な場合も多いと思う。
自分が学んでいる環境学は、その最たるものだ。

こういう場合には、自らその体系を一から作り上げるのは、時間的にも知力的にも修士にとっては困難を極めるだろう。

考えられる最もいい方法は、ごく普通のものだが、科学哲学一般について一通り学んでみる、というものだ。

まず、一般的な科学哲学とはなにか、それを知る事。

そして、自分の分野ではどんな哲学的な問いがありうるのか。それを考えてみる事。

これなしには真に付加価値を出せる論文を書く事はかなわない。そこには、どんな分野にも共通するような普遍的な問いが数多く存在する。


科学とは何か。
科学はどうあるべきか。
真理とは何か。


最低限の努力ではあるが、これらを知る事は、無限遠点からの視座に漸近するために必要不可欠な事だ。


これを踏まえたうえで、斬新なアプローチやロジックが通った成果物を形作っていくのだ。


永遠の問い:なにをするべきか


最後に1つ付け加える事がある。
ここで述べた事は、研究の「あるべき」姿を照らし出すための方法だ。
この「あるべき」に近づいていく事は何よりも重要な事だと思っているし、他の何にも増して優先されるべきだとも思う。

ただ、実際に研究に携わり実務に携わる際に、このような理想だけを眼前に据えて世界と対峙する事は、圧倒的な現実の前に身動き一つ出来なくなるという状況を造り出すかもしれない。
現場には、「あるべき」を一旦脇においてでも「やるべき」事がたくさんある。
これは自分が研究を進める中で学んだ事の1つであり、これもまた、真であると思う。



「何が本当に大事な事で、その中で自分はどんな役割を担う事ができるのだろうか。」
そんな事を考えながらも、一歩一歩進んで行かなければいけない。


時には、「あるべき」を捨てる決断をしなければならないかもしれない。
ただ、それはこれまで述べてきた事を無視した事と同じではない。

極限まで悩み、考え抜いたからこそ見える風景がある。

そう信じている。




研究とは、「研ぎ」「究める」事だ。
鋭利な頭を携え、知のフロンティアを切り崩して行こうじゃないか。



関連記事:
環境とは何か?(1)
知的メタボリックのすすめ
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オーシャンズを「偽善」と言う事の愚かさ

俺の邪悪なメモ:これは偽善だ!(映画『オーシャンズ』を観て)
つまり、このドキュメンタリー映画が本当に伝えてくれてることは、環境云々のメッセージではなく、「現在の映像技術で捏造された "事実" は見抜くことができない」というリテラシーの危うさなんだと思います。



ハァ?(°Д°)

じゃあドキュメンタリーって、何?

ドキュメンタリーは劇映画、ドラマと本質的に差はないと、遥か昔からわかってるじゃない。


オーシャンズのレビューはこの間記事にしたが、基本的には先のブロガーの人と意見のベクトルは変わらない。

そこには確かにある”スタンス”があった。

ただ、もっとメタ的な視点で製作者の目的を鑑みると、このアプローチは至極まっとうなものだよね。


ドキュメンタリーに色がついてるとか、見せ方が恣意的だとかは、もう古いよ。
そんな大昔の論点を引っ張り出して来てこの映画を語るのは、いい事だとも賢い事だとも思えない。

CGを使っていようがいまいが、いつの時代も見抜けない部分はある。
そしてそれでも、「見える」ものは「見える」。


本作も、メディアリテラシーは言うまでもなく、ある種の感性が視聴者に求められた映画だったと評したい。

それをわかった上で、どう感じるか。
”創られた”モノを含めたリアルの中に何を見るか。



この映画から得られる学びも、そういった部分。



こういうテーマに関して日々考え抜いている人じゃないと正しく捉えられない部分はあると思うから、しょうがないのかもしれないけど。


関連記事、というか本エントリーの主張の基の部分。「見えた」モノ:
映画評:オーシャンズ(OCEANS)はやっぱり凄かった!
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"水の流れの音と梢のそよぎに寝かしつけられるようにして、ぼくたちは眠りに落ち、そして、世界が若返った夢を見るのだ。"
- J 「ボートの三人男」
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本棚のアウトソーシングに成功しました。

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